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「ぼくたちが本と出会うときのこと」第三回:どこ拭く紙
2月上旬の寒い日の昼間、渋谷の路上では誰にも気づかれず、きわめて自然に本が配られていた。酒井翠というアーティストの『地球のために、何をしてあげればいいですか?』という本で、見た目はどうみてもポケットティッシュ。ところが中を開くと一枚に繋がった白いポリエステルの布で、文字が羅列されているというものだ。この日はゲリラ・パフォーマンスということで、彼女が実際のティッシュ配りにまぎれてこの「ポケットティッシュ型の本」を限定部数配布していたのだが、手に取ったほとんどの人は皆それを当然ティッシュだと思い込み、そのまま鞄や懐にしまっていた。それぞれ自分が使おうとした時に気づいたことだろうが、ひょっとしたら今もどこかで、驚いたり喜んだり、はたまた呆れたり怒ったりしている人がいるかもしれない。

そしてその数日後、池袋のジュンク堂で驚くべきものを発見してしまった。荒川修作+マドリン・ギンズ「トイレットブック『建築する身体――「命」って、建築できるの?』」。本メルマガ前号「トピックス」の欄でも五月さんが紹介されていたが、こちらはトイレットペーパーであり、しかも本物である。ミシン目でいうと5枚弱分の長さに、昨秋刊行された『建築する身体――人間を超えていくために』のエッセンスが凝縮されていて、それが青い文字で繰り返し印刷されている。実際にトイレに設置してみると分かるが、量もちょうどいい。読んで、使う。ちょっと勿体ない気もするが、「このトイレットペーパーを使う人たちは、死なないということを真剣に考えるんだ」とは公式サイト日記より、ご本人の弁。積極的に使ってこそ作者の意図が分かるというものだ。

春秋社の編集部に問い合わせたところ、そもそもこの「トイレットブック」が発案されたのは、「この本の内容を、もっと生活の中に取り入れることはできないか」という議論の中でだったという。そこで「トイレットペーパー」案が出て盛り上がり、そのまま実際につくることに決定。色々調査した結果、静岡のある工場に発注した。今までもサザンオールスターズや19などのミュージシャンが、ファンサービスの一環としてこういった文字を印刷したトイレットペーパーをつくっていたそうだが、「トイレットブック」と銘打って「本」と言い切ったのはこの『建築する身体』が最初だろう、とのこと。機械の都合上70cmまでしか印刷できないため、内容は凝縮版となったが、当初は全文を掲載しようとか、全何巻にしようとかいうような話もあったらしい。

カフェで珈琲をこぼしてしまい、さっき路上でもらったポケットティッシュを使おうとした時。遊びに行った友達の家でトイレを借りて、あースッキリと手を伸ばした時。誰もがそれまでの生活の中で何度となく繰り返してきたありふれた行為であり、まったくの隙だらけである。当然そんなところで「本」に出会うとはつゆとも思っていないのだけれど、これら2作がそうした不意打ちを狙った、しかしながらきわめて真っ当な「本」である以上、ぼくたちの周りにはいつどこにでも「本」が隠れ得るといえる。こういった「本」が次々と形を変えて、もっともっと日常に侵食してきたらどうか。夢のような話だけれど、それはどんなに発見に満ちた毎日だろうと思う。

ところでこうなってくると、どこからどこまでが「本」なのかいよいよ怪しくなってくる。『建築する身体』の場合、元になった本はいわゆる本らしい本の形態をしていて、きちんとISBNがついて取次を経て全国に流通しているが、トイレットペーパー版は一部の書店に直接卸されただけで、一般的な流通網には乗っていない。営業の方の話によるとそもそも元の本ありきの企画であるため、最初から販促的な意味合いも強く、ISBNをつけるという話はなかったらしい。それでは、果たしてそれは不可能だったのだろうか?そこで今度は日本図書コード管理センターに問い合わせたところ、なんとあっさり「(トイレットペーパーでも)ISBNはつけられますよ」とのこと。書店での流通を前提としてつくられたもので、かつ「著作物」であれば、基本的にはOKなんだそうだ。つまりISBNにおける「本」の定義は流通の問題であって、形態の問題ではないということになる。もともと本を管理するための番号であるわけだから当然といったら当然なのだが、そうするとやっぱりなんだかまた「本」がよくわからなくなるのである。

◆酒井翠:http://www.super-jp.com/midori/
◆荒川修作+マドリン・ギンズ:http://www.architectural-body.com/
◆前代未聞、仏教系出版社がトイレットペーパーを書店店頭で山積み販売(前号記事):http://biblia.hp.infoseek.co.jp/b/pyramid.htm
◆春秋社:http://www.shunjusha.co.jp/
◆日本図書コード管理センター:http://www.isbn-center.jp/

([本]のメルマガ 2005.03.05. vol.206 http://www.aguni.com/hon/
by uchnm | 2005-03-05 01:58 | 本と本屋
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「ぼくたちが本と出会うときのこと」は、ブックピックオーケストラ発起人、numabooks代表の内沼晋太郎が、「[本]のメルマガ」で書かせていただいている月一回の連載です。
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