第26回:今、何してる?
 さすがに「知らない」では済まされなくなってくるものというのがある。ちょっと前だとmixiをはじめとするSNSがまさにそれで、どんなにインターネットに疎い人でも、今やさすがに名前は聞いたことがあるだろうしなんとなくどういうサービスかの想像はつくだろう。旧napsterやwinMX、WinnyなどのP2P共有やyoutubeなどの動画共有については、著作権がらみのニュースで否応なく知らされたはずだし、さらに昔にはblogがそれだった。それらは徐々に、「知らない」と無視することができないレベルまで日常生活のなかに現れるようになる。

 そしていま、ひょっとするとそのレベルまで達するかもしれない盛り上がりを見せているのが、twitter(※1)およびその類似のサービスだ。いま日本で最も普及しているSNSが後発のmixiであるように、必ずしもオリジネーターがNo.1をとるかどうかはわからないが、どちらにしても日本では今年の4月あたりから、爆発的なひろがりを見せている(それによって今はアクセスが急増して、いつも重たい)。しかし、その面白さを説明して伝えることはなかなか難しい。

 「What are you doing?」という疑問文がついたテキストボックスに、ただ一日に何回も(多い人は一時間に何十回も)何かしらを入力し、それが「friends」として「add」されたユーザー間で共有される。ただそれだけのサービスが「ミニブログ」とも「リアルタイムSNS」とも呼ばれる所以は、そのどちらの要素も兼ねていてかつそれでも言い足りない何かがあることをユーザーが知っているからで、「つぶやきを記録するもの」という人も「チャットみたい」という人も「雑踏の中にいるようだ」という人も、誰ひとり間違っていない。「twitterでは友達のひとりごととasahi.comのニュースが同レベルで扱われる」といっても、ユーザーでなければさっぱりニュアンスがつかめないだろう。そのくらい、その魅力は一様ではなく説明しにくいのだけれど、blogやSNSも最初はそうだった。

 ともあれひとつ知っておくべきことは、blogが出版物になるのが当たり前になって、ケータイ小説というジャンルが生まれ、2ちゃんねるの人気スレッドやmixiのコミュニティ発の書籍が大ヒットしたように、twitterから何らかの出版物を生むことができないか、と考えているユーザーがいるということだ。

 面白いブログはそのままコンテンツだけれど、面白い人のtwitterがそのままコンテンツになるかというとそうもいかない気がしたり、2ちゃんねるやmixiのように他人とのコミュニケーションまで含めてコンテンツと捉えることもできるけれど、それではあまりに煩雑になりすぎるような気がしたりする。それらの懸念はおそらく、twitter上でのコミュニケーションがたいていの場合圧倒的にゆるいものであるからだけれど、とても自由度が高いツールであるがゆえ、それをうまく利用して何かしらの意図をもってはじめられたか、もしくは無意識にたまたま特殊なアプローチをされたものが発見されるとき、そこに出版の話が生まれることは十分にあり得るとぼくは思う。

 元がblogだろうがケータイだろうが2ちゃんねるだろうがmixiだろうが、もちろんtwitterだろうが、本という形式になるときにそれがテキストと画像の集積であることは変わらない。つまり出版の側からみれば、それらはそれぞれ本を書くことができるツールのひとつに過ぎない。『実録鬼嫁日記』も『Deep Love』も『電車男』も『メガネ男子』も、いわゆる本の成り立ちを覆すようなものではないからだ。だが一方でこれらのテキストはおそらく、それぞれのツールの特性が発揮されることなしには生まれ得なかった。だからこそまたtwitterからもtwitterらしいコンテンツが生まれることを、多くの人が予感しているのだ。

 たとえば著者が著名な小説家や詩人あるいは芸能人であれば、その日常のつぶやきはそのままでも価値があるかもしれない。あるいは何か特定のコミュニティや特殊なテーマについてのコミュニケーションを意図的に抜き出すか、そもそもコーディネイトしてしまうかして、複数の著者のものとして編集することもできるだろう。ユーザーであればこのくらいは誰でも思いつきそうなものだ。少なくとも数十字のひとことの集積になるのだろうから、読みやすい本が出来上がりそうなことは想像に難くない。

 ところで諸先輩方には恐縮だけれど、こういったインターネットのトレンドに最もアンテナが高くなければいけないはずの出版業界に、なぜだか「疎いから」といってギリギリまで試さずに済まそうとする人がひときわ多い気がするのは気のせいだろうか。少なくともmixiをやっている人であれば、実際にやってみるまではいくらmixiに関する記事を読んだところで、そこで生まれているものに対する感覚をつかむことができないということを、実感として知っているだろう。twitterもまさにそういうサービスなので、とりあえずやってみたほうがいい。そこから面白いコンテンツが生まれ得るか否かを、やりもしないで訳知り顔で語ったりしても、なんだかとてもつまらない。

※1:twitter
http://twitter.com/
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# by uchnm | 2007-05-25 14:59 | 本と本屋
第25回:本を貸す
 中目黒に引っ越した。ほんの2週間ほど前だからまだつい最近のことで、それで先週末、友達を集めてささやかな引越しパーティを催したのだけれど、それで「この本借りてもいい?」という友達がいたので、いっそ図書館風にしてしまえとその場で思いつき、貸出ノートをつくって記録していってもらうことにしたら、結局数名による十冊近い貸出を数えた。みんなそれぞれ、意外なものを借りていったりするので、結構おもしろい。

 ぼくの思いつきがそうだったように、本を貸すといえば今はもっぱら図書館のイメージだ。だが、かつて(リアルタイムにその時代を生きていないぼくが言わずとも、ふつうに経験していた読者の方もいらっしゃるだろうからまさに釈迦に説法だけれど)貸本屋全盛の時代というのがあった。雑誌がまだ月刊誌中心で単行本の価格も生活水準に比べて高価で、図書館が今ほど普及していなかった、戦後すぐくらいの話である。まだ著作物のレンタルに関する法律も明確でなかった時代に普及していたから、後にレンタルビデオやレンタルCDが日常のものとなり法的に整備された際にも、貸本は既に衰退産業であまり業界へのインパクトも強くなかったため、例外的な扱いを受けていた。

 しかし今になって、貸本2.0ともいうべき流れが静かに起こっている。法律が整備され2007年2月から書籍についてもレンタル使用料をサービス提供者から徴収し、著作権者へ還付する制度が始まったのである。そしてこの4月にさっそく参入したのがブックオフ傘下の株式会社ブックチャンスが運営する「コミかる」(※1)。宅配レンタルDVD同様のシステムで、月会費980円、一冊126円で15~20冊ずつレンタルできる仕組みだ。サイトを見てみるとシリーズもののマンガなどがセットになって価格がついている。確かに長編の漫画をよく友達からまとめて借りたり、漫画喫茶で一晩かけて読破したりする人にとって、これはなかなか便利なサービスだ。また同業界には、レンタル最大手のTSUTAYAも参入すると見られている。

 またDVD同様ということでいうと、「電子貸本Renta!」(※2)も注目のサービスだ。最近コンビニ等で販売されている、いわゆる「時限DVD」のように、24時間100円という時限付きで電子コミックを提供している。紙の本のような値段で電子書籍を買う文化がなかなか根付かない中、時限付きでそれより安く提供するというサービスには、とても将来性があるように思う。厳密にいうとまったく「貸す」という行為ではないが、その感じを表現するのに「電子貸本」という言葉をチョイスしているあたり、一回りして戻ってきた新たな「貸本」時代の流れを感じるのはぼくだけだろうか。

 本がたくさん集まっていて、なんらか機能しているところを思い浮かべてみると、どうやらそこにある本の状態は4種類に分けることができる。それは「販売用」「貸出用」「閲覧用」「内装用」の4つだ(「内装用」は閲覧することすら許されず、ただインテリアとして使用される状態のことを指していて、その状態はその状態なりに本が持つある種の機能を十分に果たしている、とぼくは考えているのだけれど、その話はまた)。そして「貸出用」は「販売用」と「閲覧用」の間に明確に位置するとぼくは考えている。その場で見れるだけではなく、自分の手に持って帰って読むことができるが、しかし自分のものにするわけではなく、いずれは返す。そこには人の温かみというか奥ゆかしさというか、やわらかい種類のものの存在を感じる。

 その「本がたくさん集まっている場所」を運営することでビジネスになっていることといえば、ぼくのやっているような「閲覧用」や「内装用」の書籍なんて本当に微々たるもので、現状はまずほとんどが「販売用」だろう。もちろん版元にとってはそれぞれ買ってくれるところがお客様なのですべてがビジネスだけれど、その書籍をベースに運営する側ということでいえば「貸出用」のメインプレイヤーである図書館は公共のサービスであって、その運営そのものは経済活動からは最も遠い。

 しかしどちらかというとモノとして所有することから離れて様々なソフトウェアが省スペース化していっている現在、本という結構な場所をとる代物をストックしてくれる「貸出用」サービス提供者の存在は、今後より大きなビジネスになる予感がする。単価が安いからビジネスにならない、という人がいるけれども、ほとんどの単行本はマキシシングルCD程度の値段だし、ちょっと専門的な本になればCDアルバムより高額なものはざらにある。ある本を「ちょっと高いから買えないな」と思った経験がある人は多いだろうことを考えると決して成立しないとはいえない。

 もちろん公共図書館との差別化はしなければならない。例えばこれだけ膨れ上がった出版点数に対して、もし絶版書籍を充実させそれが借りられるようなサービスを目指せば、少々高額でもついてくるユーザーは必ずやたくさんいるだろう。あるいはこれはTSUTAYAがCD/DVDでやっていることだが、深夜まで空いていて、大抵の書籍はだいたいまずそこで借りることができ、もしなくても版元に在庫のあるものならばリクエストを100%受け付ける、というサービスであれば、所有しなくてもだいたい手に入る、という安心感がある。そもそもCDも、公共図書館で借りることができるしリクエストもできるけれど、多くの人がTSUTAYAのようなレンタルショップを使うのは、結局品揃えやサービスの問題だ。実際、CD/DVDレンタルショップが書籍レンタルに参入しているケースは、既に地方を中心に多数見られる。

 あるいはちょうど2年ほど前、この連載で「ソーシャルネットワークによる仮想的な図書館」をPtoP的な手法で実現できるのではないか、そういうサービスも出つつある、というような話を書いたけれど(※3)、どうやらその分野はそれ以降、あまり進歩していないように思える。例えばmixiやtwitterのような気軽なインターフェイスで、各自が自分の蔵書を公開し貸し借りを行うようなサービスを提供することがもしできれば、それはウェブベースで十分ビジネスになり得るだろう(2007年1月にモバイル決済サービスの「Obopay」に買収された、元Amazonのスタッフによる「BillMonk」(※4)などいくつか既に事例はあるけれど、少なくとも日本で同様のサービスはあまり普及しているようには思えない)。ヴァーチャルであれ存在が見える個人から借りることの楽しみは、書籍の単価とは関係のないところで十分に付加価値になり得るし、ユーザーが増えれば増えるほど、手に入らない本がない状態にまで近づいていく。

 従来型のリアルな貸出であれ、宅配レンタルであれ電子貸本であれ、ソーシャルネットワークによる仮想的な図書館であれ、「貸出用」の本というのには、「販売用」や「閲覧用」とは違ったよさがある。やわらかい種類のものの存在、と前に書いたが、それがどのサービスにもあるように思うのだ。そしてこれからビジネスになっていくのも、そういうものが存在するところだろうということは、おおよそ間違いない。

※1:コミかる
http://www.ebookoff.co.jp/comical.jsp

※2:電子貸本Renta!
http://renta.papy.co.jp/

※3:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第二回:お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの
http://uchnm.exblog.jp/1936819/

※4:BillMonk
https://www.billmonk.com
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# by uchnm | 2007-04-25 12:00 | 本と本屋
第24回:インタビューユニットと、ぼくがしたいインタビューのこと
インタビュアーと写真家というのは似ている。写真に関しては人間を撮る場合の話だけれど、どちらもある技術をもって、それぞれのやり方で相手をうつす。その成果物に触れる受け手は、その対象がどんな人なのかという情報を、それぞれの技術と作品性を通して受け取る。

しかしたとえば、写真のモデルを募集したら「ぜひ自分を撮ってほしい」という人がどんどん集まるような有名な写真家はたくさんいるけれども、インタビューの相手を募集して「ぜひ自分をインタビューしてほしい」という人がどんどん集まるような有名なインタビュアーというのはいるのだろうか。この人に撮られるとどんなモデルも新たな魅力が引き出される、という評価を受けている写真家はいても、この人にインタビューされるとどんなインタビュイーも新たな魅力が引き出される、という評価を受けているインタビュアーというのは、あまり聞いたことがない。

なぜだろう、と考えてみたときにひとつ思い当たったのは、インタビューには批評がないからだ、ということだった。写真には写真批評というジャンルがきちんと存在するし、日常のレベルでもこの写真はいいとか好きだとか、この写真はあまりよくないとか誰に似ているとか、そういう話をする文化は出来上がっている。しかしインタビューにおいては、このインタビュアーのインタビューはいつもすごくいい、といった会話さえあまり生まれることがない。インタビューはインタビュアーの作品ではない、あくまで相手を引き立たせることが目的であって、黒子に徹するべきだ、といった意見もあるだろう。しかしそれとは別に、インタビューにも確実に技術やカラーというものがあるはずで、それを切磋琢磨するためにも批評は必要なのではないか。

そこでぼくは実際にインタビューを生業の一部にしている人が集まり、そういったことについて考えながら独自の活動をしていく、インタビューユニットをやりたいと思っている。まずはインプットとして、インタビューに関する本はもちろん、さらに面接の本や心理学の本、交渉術など関連の書籍をみんなで読む。同時に、その月に出た雑誌で一番面白かったインタビューを話し合って決めたり、数多あるインタビューサイトの更新情報をまとめたりしてみる。いいインタビューと悪いインタビュー、ということに関する自分たちなりの基準作り、というのが必要なのだ。それを経て、いろんな実験的なインタビューのプロジェクトを立ち上げていくアイデアも、既にいくつかある。その中で特に気に入っているのは、街角の似顔絵屋ならぬインタビュー屋をやってみようということ。写真家と同じ理由で、インタビュアーは似顔絵屋とも似ているのだ。

そしてもうひとつ、ぼくがインタビューという手法を通じて、個人的なライフワークとしてやってみようかと思っていることがある。それはその人の「一番大切な本」という切り口で、有名無名かかわらず様々な人の話を聞く、という活動だ。その人の「一番大切な本」とその内容、そしてそれがどうして自分にとって一番大切なのかという話を聞くことから広げて、その人がどんな人で、どんな仕事をしていて、どんな未来をみているのかということを浮き彫りにするようなシリーズをやって、その数をあつめていく。

そのことはぼくにとって、本のセレクトという実際の仕事に直接役に立つだけではなく、人にとって本とは何なのか、という大きなテーマに迫っていくことでもある。自称でも構わないのでインタビュアーとしてのプロ意識を持ち、小さくてもいいからメディアを持つことさえできれば、インタビューという手法を学ぶことは、誰でも好きな人に会いに行って話を聞くことができるようになる能力を身につけることなのだ。ぼくが人と本についての謎に迫っていくことができるように、誰かにもこの世界の何かに迫っていく力が与えられる。そのことは、とても素敵なことではないだろうか。
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# by uchnm | 2007-03-25 00:00 | 本と本屋
第23回:本を交換する
 旅には本が欠かせない。長旅であればなおさらだ。けれど同時に、長旅に余計な荷物は禁物だ。だから世界を旅しつづける人たちの間には、母国語が同じ人と出会うと、持っている読み終わった本同士を交換する習慣がある。そうすれば、ずっと新しい本を読むことができるというわけだ。読み終わった本を、たまたま出会った誰かに手渡す。その本は渡された誰かに読まれた後、また次の誰かの手へとわたっていく。こうして旅人から旅人へと持ち主を変えていく一冊の本それ自体もまた、どの旅人とも違う行程を、延々と旅してゆくことになる。

 エルビススズピー氏は、そんな旅人たちの間ではとても有名な方なのだそうだが、残念ながらぼくはお会いしたことがない。けれど、友人から聞いた彼の「エルビス文庫」の話に、ぼくはとても感銘をうけた。

 ぼくの友人もまた長い旅をしている途中、星条旗の柄のバンダナを頭に巻き、エルヴィス・プレスリーのTシャツを着た氏と出会い、本を交換したという。ただでさえインパクトのある氏だが、彼から受け取った本は、ぼくの友人をさらに驚かせた。それはビニールコーティングされ、中にエルヴィス・プレスリーの写真が入れられ、「エルビス文庫」と書かれている。氏の手によって、カスタマイズされているのだ。中身はふつうの文庫本で、友人が受け取ったのは村上龍「愛と幻想のファシズム」上下巻。手書きのタイトルが背表紙に書いてある。氏の手に渡った本はすべて「エルビス文庫」としてカスタマイズされ、世界中に出回っていく。

 Googleなどで「エルビス文庫」と入れて検索すると、きちんとヒットする。そのうちのひとつの掲示板の書き込みを見ると、数年前に900冊をカウントしているから、おそらく今は1000冊をゆうに超えているだろう。ぼくの友人が渡した本もまた、氏の手で「エルビス文庫」にアレンジされ、今もどこかの誰かが旅先で読んでいるかもしれない。まさに、世界中がエルビス氏の本棚なのだ。

 また氏は「エルビスノート」という、ガイドブックなどにはあまり載っていない現地の情報を独自にまとめたノートも製作している。アフガニスタン、アフリカ、中米、南米編などに分かれており、各地の日本人ゲストハウスにはそのコピーが置かれ、旅人たちはそれを書き写したり丸ごとコピーを取ったりして重宝しているらしい。これもエルビス氏を有名にしているもうひとつの理由で、やはり検索すると多数ヒットする。「『地球の歩き方』よりも安宿とかに関しては情報は多い」「南米編はたしか140ページぐらいあった」という記述もあるくらいだから、並大抵ではない。

 同様に本を世界で共有する試みといえば「ブッククロッシング」(※1)がある。さきほど「世界中がエルビス氏の本棚なのだ」と書いたが、しかし氏は、おそらくそういった「ブッククロッシング」的な目的のために「エルビス文庫」をつくっているのではないとぼくは思う。もちろん推測でしかないが、氏にとって世界中を回っていく本は、あくまでエルヴィス・プレスリーの存在を知らしめるための、メッセージツールなのではないだろうか。あるいは、本を交換するという習慣の中で、出会った誰かとの会話を有意義なものにするための、ひとつのコミュニケーションの仕掛けにすぎないのだろう。

 多くの、いま旅をしていないぼくらにとって、ほしい本を手に入れることは比較的たやすい。一方で、どれを読んだらいいかわからず大型書店の森の中をさまよい、結局道に迷ってたどり着けないような思いをした経験がある人も多いだろう。そんなときには友人と、読み終わった本を交換してみるのもいいかもしれない。ちょっと気恥ずかしいけれど、読むときに線を引いたり欄外にメモを書いたりすれば、それは相手へのメッセージになる。あとで古本になることを考えてか、本を汚すことに抵抗がある人も多いけれど、そうして世界に一冊しかないオリジナルの本ができていくほうが、ぼくは素敵なことだと考えている。

※1:ブッククロッシング
http://www.bookcrossing.com/

※参考:「ぼくたちが本と出会うときのこと」 第七回:本に書き込む
http://uchnm.exblog.jp/3071801/
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# by uchnm | 2007-02-25 00:00 | 本と本屋
第22回:カフェに本棚をつくる
 とある老舗ブックカフェのオーナーから昔「ブックカフェは、たいていどうしても本屋かカフェかどちらかになってしまう」というお話を伺ったことがある。最初は「ブックカフェ」として、本と珈琲の両方ともをメインの商品として扱い、その相乗効果を生かした経営を志していても、やがて「珈琲も出せる本屋」というふうになるか、「本も買えるカフェ」あるいは「本も読めるカフェ」というふうになるか、本屋かカフェのどちらかにメインが決まり、それとして経営されてしまいがちだ、ということだ。

 しかしぼくは「珈琲も出せる本屋」であれ「本も買えるカフェ」であれ、それぞれに面白くなる要素があり、当然まだまだ可能性があると思っている。ぼくはここ2ヶ月くらいで、立て続けに4つほどのスペースの本棚のオープンに関わっているのだが、そのうちの2つがカフェである(ちなみに残りはひとつがアパレル、ひとつは医療機関だ)。そしてひとつは「珈琲も出せる本屋」であり、もうひとつは「本も買えるカフェ」に、なろうとしている。

 ひとつは東京・麹町にある A|Z books&cafe(※1)というブックカフェと、ぼくが仲間とやっている本好き団体 book pick orchestra(※2)とのコラボレーションである。 A|Z books&cafeは2000年12月にオープンした、それこそ老舗といってもいいブックカフェであるが、ビジネス街のど真ん中にあるため、営業は平日のみ。そこで、空いている土日をお借りして、ぼくらが横浜・馬車道でやっていた[encounter.](※3)を新たにアレンジし、運営させていただくことになったのだ。いわば平日は「本の読めるカフェ」で、土日だけ「珈琲も出せる本屋」に変身するというわけである。

 [encounter.]の内容については色々なところで書いてきたので省くけれども、もうひとつの東京・恵比寿にある kukui cafe(※4)というカフェバーに関しては、もともとカフェとして営業しているところを「本も買えるカフェ」に変身させるという、ぼくにとってはそれまでやったことのない課題であった。そこには既に小さな本棚があって、もともとは店主の私物の本が入っていたり、展示に使ったりしていた。そこで本を売ってみたい、と店主から連絡をいただいたのが昨年の2月だから、結局オープンまでに1年かかってしまった計算になる。カフェの小さな本棚で、果たしてどんな本を売るのがベストなのかということ。なかなか、答えが出なかった。

 まずつまづいたのは、なぜその本を置くのか、という理由づけだ。アパレルブランドの場合であれば、ブランドの伝えたいコンセプトや思想が(ステイトメントとして明確に共有されているかどうかは別として)はっきりと存在しているので、それに沿うことができる。しかしカフェで、しかも既に人くくりにはできない色々なタイプの人が来ている場合、沿うべきコンセプトなり、合わせるべきセグメントなりを設定できない。店側の思いや「こういう本棚にしたい」というアイデアも、色々に変化していた。

 そしてもうひとつの問題は、なぜそこでその本を買うのか、ということである。本は、普通は本屋で売っているものだ。お客さんがそこで購入に至るまでのストーリーを、きちんと想定しないといけない。どういうきっかけで手にとるのか。パラパラとめくったそれを、なぜわざわざそこで買おうと思うのか。これも「そこで買いたい」と思わせるブランドがあればいいのだが、そうでない限り、普通のものを普通に売っていてはなかなか売りにくい。つまり「面白そう」と思ってもらうきっかけと、「ここでしか買えない」というレア感の両方を、演出しなければならない。

 そこで「カンバセーション」「マスターピース」「リトルプレスサロン」という、3つのコーナー中心に構成することにした。今回の最も中心的なアイデアである「カンバセーション」は、古本の小説の会話文の引用し、それを背表紙にプリントしたオリジナルのカバーをかけたものである。それらが棚に並ぶと、それはひと続きの会話文のように見え、偶然の文脈がその棚に生まれるのだ。もちろん自由に閲覧できるので、お客さんが並び替えればその文脈も変わるし、売れて新しいものを補充した際にも再構築される。もともと kukui cafe はお客さん同士が自然と会話し友達になれるようなサロン的なカフェバーなので、「会話」がテーマとなった棚は内装としてもふさわしい。

 「マスターピース」は、numabooks(※5)がアーティストとのコラボレーションで制作する、ごく小部数の出版物のような、作品のようなシリーズである。それらは一定期間その棚に展示され、オークションで販売される。そのアーティストの多くは kukui cafe で過去に展覧会をやったアーティストであり、作家本人もたまに来店する。「リトルプレスサロン」はその名の通り取次の流通に乗っていないリトルプレスを扱うのだが、単にそれだけではなく、カフェという場を利用して、そのリトルプレスの作り手と受け手がコミュニケーションできるような場と仕掛けをつくる。具体的には、作り手のトークショーを企画したり、ノートを用意してお客さんのコメントを集めたりする。

 これら3つのコーナーは全て、カフェという場である必然性、面白がってもらうだけの企画性、そしてここでしか買えないというレア感を演出したもので、いまぼくが考え得る限り、最も「本も買えるカフェ」にふさわしい本棚だと思っている。ちなみに麹町の[encounter.]は1月末から知人限定でテストオープンして3~4月に公式オープン、恵比寿 kukui cafe の numabooks は2月10日にオープニングパーティをやるので、よろしければぜひいらしてください。

※1:A|Z books&cafe
http://www.npv.co.jp/

※2:book pick orchestra
http://www.bookpickorchestra.com

※3:book room[encounter.]
http://www.super-jp.com/bookpick/encounter/

※4:kukui cafe
http://kukuicafe.jp

※5:numabooks
http://numabooks.com
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# by uchnm | 2007-01-25 23:31 | 本と本屋


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「ぼくたちが本と出会うときのこと」は、ブックピックオーケストラ発起人、numabooks代表の内沼晋太郎が、「[本]のメルマガ」で書かせていただいている月一回の連載です。
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