第31回:本と遊ぶ
 「ブックオカ」(※1)という、福岡で行われる本のイベントの中の一コンテンツ「ブックオカアカデミー」(※2)に、大変光栄ながら講師として呼んでいただいた。10月27日なのでこの連載の配信日の2日後のことなのだけれど、そこでぼくに与えられたテーマは「本と遊ぶ」。自分でいうのも変だけれどまさにぼくにピッタリのテーマで、その準備をしている過程であらためていろいろと考えさせられた(ちなみにもし福岡でそのセッションに参加される予定の方がいたら、以下の文章は当日お話しする内容と少し重なる部分が出てくると思うので、予習的に読んでいただくのもよし、少しでもネタバレ的なことを避けて新鮮な気分でお話を聞いていただきたいのであれば読むのはやめて、あとで復習的に読んでいただくのもよし、かと思います)。

 ぼくが最初になんとなく考えたのは、「音楽と遊ぶ」ということについてだ。まず大前提として普通は「聴く」のだけど、それもひとりの部屋でヘッドホンで聴くのと、みんなでクラブで大音量で聴くのとはまるで違っていて、それぞれに「遊び」かたが無数にある。あわせて「踊る」のもよし「歌う」のもよし、もちろん「弾く」のもいいし、「めかくしジュークボックス」のように曲を当てるクイズとか、いわゆる「遊び」らしい「遊び」もたくさん考えられるだろう。部屋から街頭まであらゆる場所にプレイヤーがあり勝手に流れ、クラブやカフェをはじめとしてあらゆる場所にDJブースがあり、それぞれの環境で音楽同士が「ミックス」され新しいものが生み出されていく。もちろん作詞、作曲する側にまわることも、演奏する側にまわることもできる。カラオケボックスから練習スタジオまであらゆる施設が街中に存在するし、専門店から洋服屋の隅までたくさんのショップが存在する。買う側も、その音楽的な中身だけでなくジャケットのデザインで買ったり、マニアになれば初回プレスかどうかとかどの国で生産されたものかどうかとか、そういうことにもこだわる……などと延々と列挙してもキリがないのでこのあたりでやめておくけれど、それぞれの環境で、さまざまな「遊び」ができそうだ。

 「音楽」でできることは、たいてい「本」にも応用できるだろう。上に挙げたことに対してそれぞれひとつひとつ、「本」の場合を当てはめて考えてみれば、まったく同様のこともあるだろうし、一方で普段はあまり行われないことのアイデアも生まれるだろう(実際、ぼくのアイデアはこういう方法によって生まれていることも多い)。例えば「本」でDJのような作業を行う、ということについて真剣に考えるだけでも、いろんな新しい「遊ぶ」ためのアイデアが思いつきそうだ。しかし、こうして「音楽」に当てはめてひとつひとつ全部思い浮かべただけでは、ぼくはまだまだ、なんだか物足りない。「本」は「音楽」に比べて、もっといろんな形で「遊ぶ」ことができるものではないだろうか、という気がしてくるのだ。

 その理由はいくつもあるけれど、まず1つ目として、「本」はプレイヤーを必要としない、ということが挙げられる。「音楽」のプレイヤーも本当にたくさんあるし、たいていの場所にはまず持ち込むことができるが、しかし「いつでもどこでも」という意味においては、ただそれ自体があればよい「本」にはまるでかなわない。買ったその場からすぐに「遊ぶ」ことができるから、以前にこの連載で紹介した「エルビス文庫」(※3)のように、旅をしながら表紙をコラージュして交換していく、といったことができる。

 2つ目の理由は、モノとしての性質である。それが紙でできていて、立方体であるということだ。紙でできているから、直接メモを書き込んだり、折ったりすることができるし(これは「音楽」でいう「リミックス」のような行為を、誰もが簡単にやっているということと同じだ)、場合によっては破ったり、絵を描いたり、鼻をかむことだってできる。紙質のことと、すでに印刷されている内容があることを除けば、他の紙製のものにできる「遊び」は何でもできるのである。そして形も、それなりに体積のある立方体であるから、並べたり積んだりすることで、ブロックのような感覚で素材にして「遊ぶ」こともできる。たとえば古雑誌を束ねてスツールを作ったりすることができる(※4)し、そういえば小学生のころ、『週刊少年ジャンプ』を積み重ねてベッドを作るという話をどこかで読んだような記憶がある。

 そして3つ目の理由に「本」は安い、ということが挙げられる。ブックオフで100円から買えるし、古本屋によっては軒先のワゴンで1冊20円の文庫本を売っていたりする。新品のものを買ったところで、文庫本なら数百円だ。「音楽」はデータで流通してしまいやすいというのはあるけれど、CDやレコードといったモノはここまで安くない。価格が高いものだと「遊ぶ」にしても、手を加えたりすることにはちょっと躊躇してしまうだろう。「本」ならば大量に用意して、それを素材にして作品をつくったりする(※5)ことが比較的気軽にできる。

 このように考えると、ぼくらはまだまだいろんなやり方で「本と遊ぶ」ことができる。そういえば最近、在庫僅少本を期限付きで割引販売するサイト「ブックハウス神保町.com」(※6)が本格オープンしたが、それを紹介する記事には「書店で売れ残って出版社に返品される書籍は年間5億冊を超え、そのうち約2割の1億冊が断裁処分になり損失は820億円に及ぶ。断裁するぐらいなら値引きしてでも読者に届けようという発想だ」(※7)と書かれていた。断裁される本は、しかしそれでも絶対になくなりはしない。断裁になる前にほんの一部でもいいから、ぼくに任せてもらえないだろうかとずっと昔から思っていたのだけど、その気持ちがまた再燃してきた。


※1:ブックオカ
http://www.bookuoka.com/

※2:ブックオカアカデミー
http://www.bookuoka.com/2007/category_33/item_145.html

※3:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第23回:本を交換する
http://uchnm.exblog.jp/6541484/

※4:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第19回:あるテーマを特集した古雑誌を集めてみる
http://uchnm.exblog.jp/5926729/

※5:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第14回:現代美術で本を考える
http://uchnm.exblog.jp/4300067/

※6:ブックハウス神保町.com 在庫僅少本・バーゲンブック ショッピングサイト
http://www.bh-jinbocho.com/

※7:asahi.com:「売れ残った本」半額に 出版社17社、ネットで本格販売
http://book.asahi.com/news/TKY200710070036.html
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# by uchnm | 2007-10-25 00:00 | 本と本屋
第30回:あらためて、ブックピックオーケストラのこと
 いまから4年ほど前、ぼくは新卒で入社した会社を2ヶ月と数日で辞めた。2~3年は勤めたほうがいいという人がたくさんいたが、ぼくが考えたのは「そんなことをしていたら25歳になってしまう」ということだった。当時はおそらく「第二新卒」という言葉が生まれたばかりのころで、その年齢制限がだいたい25歳までだった。そのとき23歳になったばかりのぼくは、自分のやりたいことと、その会社で得られそうなものとそのときの状況とを諸々考えあわせ、「2年間自分でやってみて、やっていけないと思ったら、そのとき第二新卒としてもういちど就職活動する」と決めて、いささか早すぎる辞職に踏み切った。そうして、学生時代に一緒に活動していた仲間の2人に声をかけ、自分のビジョンを伝え、それをもとに徹夜で話し合って、そのユニットに「ブックピックオーケストラ」(※1)という名前をつけた。

 既に北尾トロさんの『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』(※2)をはじめとするネット古本屋の本が何冊か出ていたころで、ネットビジネスのひとつとしても静かに注目されていたころだった。既にものすごい数のネット古書店があり、ぼくらはいわば後発だった。会社員だった頃にその本を読んだとき、ぼくにはだいたい3つのことが頭に浮かんでいた。1つ目は、ぼくにとってその大半がただ目録が羅列されているだけのサイトであり、そのビジネスモデル自体がせいぜい一人が食べていくのがギリギリのものであったこと。2つ目は、いわゆる「テキストサイト」が全盛の時代で、日本中に面白い書き手がたくさんいて、そこに面白い文章があればきちんとアクセスのあるサイトがつくれること。そして3つ目は、学生時代にやっていた活動のおかげで、たまたま編集やデザイン、イベント運営などができる仲間がまだたくさんいたことである。

 一人で、お金を目的としてやっているとできないことを、複数の人数で、影響力を目的としてやる。一冊の本を売ることに関して、雑誌のような企画を立てたり、コストを度外視した量の解説テキストを書いたり、あるいはクラブやギャラリーなどに出張して販売したりした。本を中心としたカルチャーに関するウェブマガジンとして、ほぼ毎日テキストを更新するようにした。そうして、他のネット古書店を運営している人たちや、ネットでテキストを読んでいる人たちに、ほんの少しずつ、知っていただけるようになった。もちろんメンバーは、別の仕事で収入を得る。ぼくは千駄木の往来堂書店(※3)で新刊書籍のことを勉強させてもらいながら、できるだけ割のいいアルバイトや、ライターやデザインやウェブ制作などの仕事を個人的にいろいろと請けながらなんとか生活していた。

 そして今。横浜でやっていた [encounter.] (※4)が多くのメディアに取り上げられたせいか、たくさんの人が「知ってるよ」とか「聞いたことある」とか言ってくれるようになった。ぼくが「25歳まで」と決めて個人的に模索していた職業の問題も「ブックコーディネイター」という肩書きではじめたいまの仕事がなんとか形になりはじめ、その活動に屋号として「numabooks」(※5)という名前をつけた。ブックピックの代表は最初からぼくと一緒にやってきた川上に交代したが、ぼく自身も発起人兼プレス的な役割で、いまもその活動に中心的に携わっている。その間に出入りはあるものの、常に十人前後のメンバーがみなそれぞれの「本への思い」を抱えながら、それぞれの役割をもって参加している。当然皆がそれぞれ別の仕事をしているから、だいたい土日のどちらかに、ミーティングや作業が行われる。

 そしてつい先日も、「ブックピックの今後の活動」に関する長めのミーティングを行った。あらためて「どういうチームであるべきか」ということを話し合い、そのときやっている活動を列挙し、それぞれがどんなことに関心があるのか、そのために次にどんなことをやりたいかということを話し合う。この4年間で節目節目に、本当に何度も重ねてきた議論だけれど、そのたびに古くからいるメンバーにも変化があり、誰かはいつしか顔を出さなくなり、そのぶん新しいメンバーも増えていて、そのうえ自分たちの活動のみならず、世の中の本や出版をめぐる状況も変わっているから、当然のことながら少しずつその内容も、新しい方向へ向かっていく。

 ぼくがそのミーティングで確認したかったのは、つねに「前衛」である必要のことだった。実験的な売り方を常に提案し、その背後にあるコンセプトや思想を常に発言し続けるべきで、そのためにオフィシャルブログを立ち上げ、未完成のアイデアなどもどんどん公開していこうと思っているという話をした。一方であるメンバーは、より本のセレクトや並べ方のこと、本そのものについての深みのある知識のほうを強めていくべきだと主張する。当然、どちらも必要なことだ。

 ぼくらの「複数の人数で、影響力を目的として」という強みは最初から変わっていない。実店舗という活動の拠点こそ失ったものの、その強みはただどんどんと強まっているということを再確認した。金銭的な利益を追求しないと宣言するからこそ、本をめぐる経済に対してより敏感でい続けること。本を読まない人にその面白さを伝え、本を読む人にはより多くの楽しみに気づいてもらえるような、提案をしつづけること。5年目を迎えるこれから、ぼくたちにはどうやらまだまだ、やれることもやりたいこともたくさんあるようだ。


※1:ブックピックオーケストラ
http://www.bookpickorchestra.com

※2:北尾トロ『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』(風塵社版は2000年刊。現在はちくま文庫で文庫化もされている)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480420673/

※3:往来堂書店
http://www.ohraido.com/

※4:book room[encounter.]
http://www.super-jp.com/bookpick/encounter/

※5:numabooks
http://numabooks.com
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# by uchnm | 2007-09-25 00:00 | 本と本屋
第29回:あらゆるショーウィンドウに本が……
 明治通り沿い、渋谷付近を歩いていたら、アパレルショップのショーウィンドウに「本のようなもの」がディスプレイされているのを発見した。しかも通りの同じ側の、ほんの短い距離の間にある2つのショップで、同じ時期に(1週間程度の間隔をあけて確認したので、重なっていたのかどうかはわからないけれど)両方で「本のようなもの」が使われていた。

 ひとつのショップでは、本棚を模した大きな壁のようなものが作られ、その前に洋服を着たマネキンが飾られていた。遠くから眺めてもよくわからないけれど、近くで見ると、それは明らかに本物の本ではなかった。一冊の本の背表紙のようなものがデザインされ、それらの同じものが何十冊、何百冊分も、まるで施井泰平(※1)の作品のように、壁に貼りつくようにして並んでいた(というか、そういう巨大な壁が造作されていた)のだったと思う。

 もうひとつのショップは、一見普通の、アクセサリーがディスプレイされているウィンドウだった。だがよく見ると、百科事典のような本が床に何冊か置いてあり、テーブルの上にも何冊か乗っていて、それにかぶさるようにしてアクセサリーが飾られている。さらに近づいて見てみると、その百科事典のように見えていた本も実際は本物ではなく、本のような形をした作り物であった。

 そして今日、この文章を書いているつい先ほど、ちょっと時間が空いたのでラフォーレのとあるショップに入った。まだまだ暑いのに秋冬物ばかりの店内はこの時期いつも違和感があるな、とかぼんやり思いながら物色していると、台の上に置いてあったタイやベルトの下に、また本があった。表紙に何も書いていない、まっさらのスカイブルーのそいつは、手に取ったわけではないが紙のようだったので、どこかの何かの束見本か、もしくは書籍風につくられたノートのようなものだろう。

 ちょっと歩いているだけでこんな風に見つかるのだから、どうやら最近のアパレルショップで、本を模したものをつくりそれをディスプレイにするのが流行しているらしいことは間違いない。二度も「発見した」と書いているのであらためて言うまでもないけれども、場所としてはぼくが仕事をさせてもらっているTOKYO HIPSTERS CLUBから近いが、これらはひとつもぼくの仕事ではない。

 この連載でもいままで何度か触れたけれど、ぼくはブックコーディネイターという肩書きで、セレクトショップやカフェ、ロビーや待合室などで、販売用や閲覧用に並べる本をセレクトするのを主な仕事にしている。それでたまたまアパレルの業界紙である繊研新聞に掲載されたとき、そういう「ディスプレイとしての本」が流行しているという主旨の原稿で、つい数ヶ月前、一緒に紹介されたことがあった。

 もちろんそれ自体はまったくもって喜ばしいことだし、ぼくももし依頼があれば喜んでディスプレイ用の本もセレクトする。しかしぼくが気になっているのは、先に挙げたぼくが見つけた例がことごとく本物の本ではなく「本らしきもの」であったことだ。あえて制作費をかけて本物の本ではなく「本らしきもの」をわざわざ作って使うのには、相応の理由があるはずだからである。

 いきなり結論を言ってしまえば、本をディスプレイに使う理由は、簡単にいうと「知的な」「思想のある」といったイメージをつけるためである。そして本物の本を使うと、その本が世の中に対して持っている文脈が良くも悪くも見えてしまう。その文脈がつくのを避けるために、敢えて「本らしきもの」をつくるのである。特定のある本を選んでしまうと、ブランド全体に対して、その本が持つイメージが影響してしまうのだ。

 しかしぼくがアパレルショップに対して提案しているのはその真逆の発想で、本の売り場をつくることによって、その本が持つ文脈とそれによってブランドが人々に与える影響力を利用して、ブランドの思想を的確に伝えていきましょう、というものなのである。過去にも書いているのでその内容を詳しく繰り返すことはしないが、しかしこういう「本らしきもの」を見ると、ちゃんと選べばプラスに働くのにな、これじゃ逆効果だな、と勿体ない気持ちになる。

 「このショップでこの服ならばこの本だろう」というセレクトをするのは、自分でいうのもなんだがもちろん難しい。しかしかといって、なんとなく「知的な」ニュアンスを出すために利用されている「イメージとしての本」は、ちょっとアンテナの高い客には残念ながらすぐにその浅はかさがわかってしまう。偽物はバレてしまうのだ。だからぼくはこうしてあらゆるショーウィンドウに並べられた「本らしきもの」を見るたびに、きちんとセレクトしたい欲にかられてしまう。「イメージとしての本」がせっかく必要とされているのだから、今こそ本物の「本」の面白さを伝えるべきタイミングなのだ。


※1:施井泰平
http://www.yukariart-contemporary.com/j/Taihei_Shii/01.html
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# by uchnm | 2007-08-25 00:00 | 本と本屋
第28回:ブック検索に大賛成する
 今年も東京国際ブックフェアに行ってきた。当然ブースによってその盛り上がりに差があるのだけど、その中でひときわ目立って人が集まっていたブースのひとつに、Googleがある。いよいよあの「ブック検索」(※1)が7月5日、本格的にオープンしたのだ。Googleの出展は、実は2年目。去年はもっと小さなブースで、同じく「ブック検索」の可能性をアピールしていた。あれから1年。ウェブサービスのスピードとしては、だいぶ遅いほうではある。

 概要についてはたくさんの記事が出ている(※2)ので、あらためて説明することはしない。そもそもかねてからいろんな人がいろんなことを言っているけれど、ぼくはもともと、個人的にブック検索には大賛成の立場である。使ってみてその気持ちはさらに強くなった。少なくともこのサービスの普及によって本が売れるか売れないかといったら、間違いなく売れる。検索で出てきた箇所で「もう理解したからいいや」というケースよりも「これも買わなきゃ」というケースのほうが多そうなことは、なんだかんだ言う前に使ってみれば、直感的にわかる。公開レベルもきちんと選択できるのだから、立ち読みや万引きのほうがよっぽど深刻な問題だ。

 データが全部UPされるということに関する妙な危機感は、音楽や映画、ソフトウェアなどのファイルがP2Pで共有され、数年前から売れにくくなっていること、特に音楽CDの売り上げの低迷からきているものだと思うのだけれど、もともとデータではなくモノとしてそこにある本は、音楽などとはまるで状況が違う。CDで聴くこととiPodで聴くことの差が比較的少ないのに比べて、本で読むこととディスプレイで読むことには雲泥の差がある。

 また、携帯カメラによるデジタル万引き的な問題と比較して、特に見ている側がその本のごく一部の情報しか必要としていない場合に関して、それよりもさらに高精細の画像がなんのリスクもなく手に入るということへのの意見もあるだろう。しかしそういう書籍に限ってはそもそも掲載しないという選択肢もあり得るし(大抵の場合それは雑誌だ)、もし掲載するとしてもデジタル万引きと違うのは「ある本の情報を提供する」だけではなく、システムが勝手に「その他の本の可能性も提示する」というところだ。どちらも「その本を買わない」可能性はあるが、Googleの場合は「他の本を買う」可能性を付加してくれるのだから、総合してプラスになることは充分あり得る。

 そしてGoogleがやることで最も期待できるのは、そのサービスを利用したほかのサービスの可能性や、そのユーザーへの恩恵の広がりだ(そう、第一これだけ既にGoogleの無償のサービスによって日常の業務が効率化されていることもたくさんあるはずなのに、ちょっと損になりそうなことがあるとすぐ文句をつけること自体がそもそも変だ)。Google Mapの存在によって、多くの便利な2次的なサービスが公開されたように、「本の愉しみ」を広げる多くのアイデアが、これによって生まれる可能性がある(いまのところブック検索のAPIは公開されていないが、それでも充分に解析できるほどシンプルなつくりになっている)。ぼくがずっと暖めていたアイデアのひとつも、ブック検索によって大いに可能性が見えてきた。そのアイデアとはずばり、小説の舞台データベースである。

 たとえば軽井沢のある場所に旅行に行くとき。たとえば突然東京から大阪のある場所に引っ越すことになったとき。その行き先が舞台となっている小説を読んだり、携えていったりすることができたらなんて楽しいだろう。あるいは湘南のある場所にあるリゾートホテルのロビーに、その地域が舞台になっている小説ばかりが並んでいたら、なんて気が利いているだろう。そんなようなことを夢想して、いつか万が一ひと財産を築くようなことができたらそれを投資して、人海戦術で小説を読んで舞台を抜き出して地図上にマッピングして、膨大なデータベースをつくってやろうと密かに考えていた。

 しかしGoogleのブック検索とGoogle Mapを組み合わせることによって、それがなんだか実現できそうだということに気がついた。実は最近友達のプログラマーと2人でウェブサービスを開発するチームをはじめてひとつ別の新しいサービスをつくった(※3)のだけれど、これを第2弾サービスとして準備をはじめることにした。いくつかの問題はあるものの、いまのところ解決できそうである。もしできたらご紹介するので、どうぞお楽しみに。


※1 Google ブック検索
http://books.google.co.jp/

※2 書籍検索サービス「Googleブック検索」、日本語版開始(Internet Watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/07/05/16256.html

※3 5つ星ミニブログ・ライフログ[staaaaar!](α版・招待制)
http://staaaaar.jp
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# by uchnm | 2007-07-25 20:57 | 本と本屋
第27回:あらためて、紙とウェブ
 前回、5月25日のこの連載でぼくは「twitter」というウェブサービスのことを書いた(※1)。それから1ヶ月。1ヶ月しか経っていないのにというべきか、1ヶ月も経ったからというべきか、もう既に様相はだいぶ変わってきたように思う。

 ぼくが書いた段階では、すでにネット上ではだいぶ盛り上がっていたものの、ギークスのものという粋をまだ出ていなかった。6月12日発売の『SPA!』に、ぼくの知る限り一般メディアとしてはおそらく初めて「ブレイク寸前『twitter』先取りガイド」という特集記事が出た。その力かどうかはわからないが、この1ヶ月でだいぶ一般にも存在が知られるようになってきた。

 その一方で、類似サービスのどこが天下をとるのかあるいはどこもとらないのか、という攻防戦はヒートアップしている。SNSにおけるmixiのように一般に了解されたものとして普及するのは、安定したサーバ環境といった基本的なことに加えて本当にちょっとしたインターフェイスの違いとタイミングによる、ということに多くの人が気づいているために、サービス提供者は今なお増え続け、アクティヴなユーザーはいくつもの類似サービスを使い比較している。たった数日で勢力図ががらりと展開するようなことも、そこかしこで簡単に起こっている。

 ところで小学館が総売上高で講談社を抜いたという(※2)。6月19日、朝日新聞およびasahi.comの記事によると、雑誌と書籍の売上高では依然として講談社が100億近く上回っているが、広告収入や映画の配当、キャラクター等の著作権料が含まれる「その他」の売上高では逆に小学館が113億円上回っており、それによって差を埋めて首位になったということだ。いまさら言うまでもないことだが、人気の専属モデルやアニメキャラクター、映画化に値する原作など、金の成るコンテンツに関して独占的な展開をしていくことが最大のビジネスになっていく、総合コンテンツ産業としての大手出版社の姿を、あらためて浮き彫りにするニュースである。

 前回「インターネットのトレンドに最もアンテナが高くなければいけないはずの出版業界に、なぜだか『疎いから』といってギリギリまで試さずに済まそうとする人がひときわ多い気がする」と書いたけれど、twitterに関するこの展開のスピードと、小学館と講談社に関するこのコンテンツ産業としてのリアルな姿に、その「疎さ」の深刻度はどんどん増してきていると感じる。放送業界とインターネット業界という軸を持ち出すまでもなく、テレビの衰退も肌で感じられるようになってきた。いまや、メディアといえばまずウェブ、となりつつあるのだ。どんなコンテンツも、その伝播の過程まで含めれば、ウェブ上で展開されないことはほぼ全くないといってよい。

 『あしたのハーモニー』というウェブマガジンが創刊した(※3)。タモリこと森田一義が編集長、創刊したのは自動車メーカーのトヨタである。テーマはエコ。企業がウェブ上でこういったブランドイメージ構築のための媒体をもつということ自体は新しいことではないが、このサイトはウェブの特性をとてもよく考えてつくられている。ぜひアクセスして実際に触ってみていただきたいのだけれど、従来「紙にしかできないこと」だった「ページをめくる」という行為が「紙のほうが得意だけれどウェブでも十分にできること」というレベルまで進化しているというだけでなく、同じく「紙にしかできないこと」だった「ふせんを貼る」という行為をアクセスしたユーザー間で共有できるものにしたことにより「ウェブにしかできないこと」にまで引き上げている。

 この「ウェブにしかできないこと」と「紙にしかできないこと」、「ウェブのほうが得意なこと」と「紙のほうが得意なこと」、そして「ウェブでも紙でもできること」という3つのレベルは、はっきりと分けて考えなければいけないだろう。「紙のほうができること」という程度のことはすぐに「ウェブのほうができること」になっていくほど、技術の進歩のスピードは早い。一方のtwitterのような「ウェブにしかできないこと」からは、今までにない新しいコンテンツが生まれる。それにアンテナを張りながら「紙にしかできないこと」を知ること。ぼくは大手出版社がどうやって生き残っていくかということよりも、本がどうやって生き残っていくかということのほうを考えていきたい。そのためにインターネットをウォッチし続けることを、ぼくはしようと思うのだ。


※1:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第26回:今、何してる?
http://uchnm.exblog.jp/6898608/

※2:asahi.com:小学館、総売上高で講談社抜く 初めてトップに
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200706190249.html

※3:あしたのハーモニー
http://toyota.jp/harmony/
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# by uchnm | 2007-06-25 22:48 | 本と本屋


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「ぼくたちが本と出会うときのこと」は、ブックピックオーケストラ発起人、numabooks代表の内沼晋太郎が、「[本]のメルマガ」で書かせていただいている月一回の連載です。
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