第36回:現代美術が本をプロダクトとして浮き彫りにする
 八丁堀のOtto Mainzheim Galleryでの月1回のトークショーシリーズ「ぼくたちと本とが変わるときの話」(※1)も、第3回目を迎えた。第1回目、第2回目と、いわゆる出版業界に生業として携わっている人たちをゲストに迎えてきたけれど、今回は本を素材として美術作品をつくるアーティスト、飯田竜太(※2)くんと施井泰平(※3)くんの2人を迎えた。

 2人の作品については、この連載で以前に紹介したこともあるし、ネット上にたくさんの情報があるのでご興味のある人はぜひ調べて検索していただけるといいなと思うけれど、ぼくらは3人で「森」という名前の3人展をやったことがあり、その後、そのまま「森」という3人組のアーティストユニットとして不定期で活動している。

 そもそもの出会いは、ぼくが友人に泰平くんを紹介されたときに、彼が「文庫本のカバーのみを譲ってもらう方法はないか」という話をしていたことにはじまる。彼のもっとも有名な作品シリーズは、文庫本のカバーの背表紙の部分を使った平面作品で、その作品のために大量の古本を購入して、中身のカバーなしの文庫本は本好きの人たちを集めて無料で配ったりしていたからだ。

 そしてそのほんの2週間後くらいにgrafがやっているgmというギャラリーの展示に呼ばれて大阪に行ったときに、同時期に展示をしていた飯田くんと知り合った。飯田くんの作品の中には文庫本のページをカッターで彫っていくシリーズがあり、そこでなんと「中身だけが必要で、カバーとかは捨てちゃうんだよね」という話を聞く。こんな偶然ってあるものか、と、その場で泰平くんに電話し、それで東京に帰った後、そのまま3ヵ月後に展示をやることになるのである。つまり2人はそれぞれの作品製作にあたって、素材をシェアできる仲なのだ。

 トークではまず前半に、この結成のエピソード、そしてそれぞれの作品などを一通り紹介し、そして後半は、そのふたりが本をモチーフに選んでいる理由は何なのか、というところからスタートした。泰平くんは「インターネット時代の現代美術作品」ということを強く意識していて、本に書かれたものはウェブサイトでいうところのソースコードのようなもので、それをどうブラウジングするかは読み手が頭の中で視覚化したりして理解しているものであり、そういった情報の集積であるという点で、本に何か象徴的なものを感じたのだという。また、その作品を制作し発表する過程で、本好きの人たちが「カバーを切るな」と怒ったり、中身は全く損なわれないのにカバーを手放すことを嫌がるのにあらためて気がつき、そのプロダクトとしての特殊性も意識するようになった。

 一方の飯田くんは、本の中身を読み手同士が共有する部分の「危うさ」を前提として作品をつくっているという。情報を共有することで安心感が生まれそこに社会が生まれるということ、そしてその情報の理解のズレによって人間や社会に「危うさ」が生まれるという観点から、本が現代を象徴していると感じた。そこにもともと持っていた彫刻の手法を導入したという。いわゆる彫刻家は木や鉄といった素材に対してそこでいう「危うさ」のような特殊な感情は持たず、自分のイメージを表現するための素材としてそれを捕らえているが、飯田くんはあえてそういう意識を彫刻に導入することで、作家自体の頭の中のイメージも本当は「危うい」ということも表現しようとしている。

 そして話題は、切るときの「罪悪感」に移る。飯田くんは当初強い罪悪感を感じたというが、緻密に制作を重ね、技術が向上していくにつれ、それがだんだんと達成感に変わっていったという。その「切る罪悪感」と、泰平くんが話した「カバーをあげられない」という感覚は近いもので、本にはそういった、普通のプロダクトにはない特別な感情が付随している。この一種の魔力は、「本を切っちゃうの?」という違和感が、特に本好きのひとに限らず、誰にでもあるというところにその特殊性がある。

 他に印象的だったのは、それぞれが個人的に読む本について、飯田くんは本屋で立ち読みしてからでないと本を買わず、できれば帯などの宣伝文句も自分の買うときの判断がぶれるからないほうがいいと言うのに対し、泰平くんがアマゾンでどんどん本を買ってしまうと言うことである。それはとても興味深いことに、それぞれの作品に対する考え方とぴったりと呼応している。自分が作品の素材として使う本に対しては、飯田くんは、自分がカットする本はなるべく読むのに対し、泰平くんは、観る人も本棚のように見えて開くことはできないという作品の性質上、あえて自分も必ず読まないようにしているというのである。

  その後もぼくが過去に企画した美容師の展示の話や18世紀イギリスのチャップ・ブックの話、飯田君のカットする本の新旧による違いの話、そしてこれは今度また話題にしたいけれど、第1回に出た「断裁前の書籍を引き取る団体」を具体的に進めていく話など、一貫して「本というプロダクト」の特殊性について話をしていたように思う。デジタルのテキストコンテンツがこれだけ流通するようになった今、本がよりプロダクトとしての強度を強めていかなければならないのは必然だ。同時代的にこういった作品をつくるアーティストがいるということが、何よりそのことを証明しているといえるだろう。


※1:MUSEUM OF TRAVEL
http://mot8.exblog.jp/

※2:飯田竜太
http://www.ryutaiida.com/

※3:施井泰平
http://www.taihei.org/

※「ぼくたちと本とが変わるときの話」は第3回でひと区切りしましたが、第4回以降の開催をただいま準備中です。また告知させていただきますので、どうぞお楽しみに。
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# by uchnm | 2008-05-26 10:32 | 本と本屋
第35回:本をどう作り、どう売るのかという終わらない話
 なんだかあらためて言うのも変だけれど、いまの日本はそんなに景気のいいものではない。少なくとも本に関わる仕事をしている人で「最近すごく景気がいいよ」という人が少数派であることは、残念ながらおそらく間違いないだろう。インターネットが生まれ携帯電話が育ち、人もコンテンツも変わった。いつか遠くの話ではなく、すでにここまでやってきていて、はじまってしまっている未来、本をどう作り、どう売るのか。誰もが、その時代の変わり目が来ていると感じている。

 八丁堀のOtto Mainzheim Galleryでの月1回のトークショーシリーズ「ぼくたちと本とが変わるときの話」(※1)の第2回目には、取次大手である日販にいながら、「経営戦略室デジタルコンテンツチーム・プロデューサー」という肩書きで、携帯コンテンツの配信を行っている常盤敬介くんと、「出版プロデュース」という耳慣れないビジネスを手がけているエリエス・ブック・コンサルティング(※2)という会社に勤める古屋荘太くんの2人をゲストに呼んだ。彼らはどちらも、本や出版にまつわるその「時代の変わり目」に呼応して生まれた比較的新しいジャンルの仕事で生計を立てていて、比較的景気がいい。そしてぼくらは偶然にも、3人ともまったくの同学年なのだ。

 常盤くんのところで特に好調なのは、いわゆるボーイズラブのコミックだという。携帯コンテンツというとなぜか電車などの移動中に楽しむものというイメージがあるが、実際は寝る前の既にベッドに入った時間によく読まれているそうだ。本は夜、部屋の電気を消すと読めないが、携帯は真っ暗な状態でもバックライトで読める。これらのコンテンツは女性を中心に、結構な数売れているらしい。

 古屋くんのところは主にいわゆるビジネス書のプロデュースを行う会社で、これから著者になろうとする人から既に何冊も本を書いている人まで、その著者のブランド構築から出版戦略、マーケティングまでをトータルで行い、同時に出版社への企画・PR・マーケティングのアドバイス・支援も行う。社長の土井英司氏はAmazon.co.jpの立ち上げに参画した方で、有名なビジネス書のメールマガジン『ビジネスブックマラソン』(※3)の著者でもある。

 最初に挙がった印象的なトピックは、「本はどんどんわかりやすくなっている」ということ。昔から入門書というカテゴリは存在するけれど、それらはいかに実践的にすぐ使える知識を効率的にわかりやすく伝えるか、というベクトルにどんどん向かっている。入門書としてのクオリティが上がっていくのはいいけれど、その先に関連するテーマのよりアカデミックな本があるというようなとき、そこに読者はたどり着こうとしないし、たどり着きやすいようになっていない。例えばAmazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」にその本が出てこない。なんとなく「雲」のようなものは見えるけれど、登るべき「山」が見えないのだ。「この本を読んだ人は次この本を読んだらいいよ」という「山」をつくることを人的にやっていかない限り、いずれわかりやすい本ばかりが棚をすべて占領していくことになってしまう。

 次に出た話は「本はどんどんモノになっていく」ということ。いかに売り場でプロダクトとしての魅力を放つかということが大きな課題になっていくだろう、という話から、日本経営合理化協会出版局(※4)の豪華な高額ビジネス書の話題や、映画のように製作委員会方式をとり、書店、取次、出版社、編プロその他で共同して本づくりをしていくのはどうか、という話などに発展した。ぼくがアパレルとのコラボレーションでいま進めている、別装本のプロジェクトの話もした。

 最後に話したのは「書店という枠組みがもはや機能しなくなっているのではないか」ということ。セレクト系の書店に行くとき、ぼくたちはすでに従来の書店に行くのとは違う感覚でその店に向かっている。書店という枠組みの中で本がセレクトされているというタイプのお店には限界があって、ぼくらはこれから本にまつわる体験ごとコーディネイトしていかなければいけない。本屋でないところで本を売ること、本屋と呼ばれるところで本でないものを売ること。どちらも既にはじまっているけれど、そこにはまだまだ可能性があるし、既にある膨大なコンテンツをどう見せていくのかというところにはまだまだ専門家が足りない。

 ぼくたちの話はいろいろな方向に飛んでいったけれど、「本をどう作り、どう売るのか」という話に終始した。上の世代の人たちに今までのやり方を教わりながら、ぼくたちの世代がどうそれをアレンジしていくのか。とても2時間でカタがつくような話ではないし、まだまだ先は長そうだ。

※1:MUSEUM OF TRAVEL
http://mot8.exblog.jp/

※2:エリエス・ブック・コンサルティング
http://eliesbook.co.jp/

※3:ビジネスブックマラソン
http://eliesbook.co.jp/bbm

※4:日本経営合理化協会出版局
http://www.jmca.net/book.html
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# by uchnm | 2008-04-25 00:00 | 本と本屋
第34回:インターネット時代の人文書のこと
八丁堀のOtto Mainzheim Galleryで、勝手にこの連載と姉妹っぽいタイトルをつけた月1回のトークショーシリーズ、「ぼくたちと本とが変わるときの話」(※1)をはじめた。

「本は、いつか本当になくなってしまうのか?ぼくは、決してなくなりはしないけれど、既に変わりはじめているし、きっともっと変わっていくと思っています。『ぼくたちと本とが変わるときの話』は、本を中心に、広くメディアとコンテンツが変わっていく様について、毎回ジャンルの異なるゲストを招いて話をするシリーズです。」なんとも曖昧なこういう説明文をつけさせていただき、初回の3月5日は、月曜社の小林浩氏(※2)をゲストに迎えた。

前半は「人文書とデジタルコンテンツ」をテーマに、ぼくから小林氏に伺いたいこととして「ケータイ小説がこれだけ流行している今、ケータイ人文書はなぜないのか」「もし本屋から人文書がなくなってしまうとしたら、人文学そのものがなくなってしまうのではないか」というような問いを掲げることからスタートした。

「書く場所の不在」を訴える人々が近年顕著に増え、『批評空間』(※3)の終刊以降、現代思想系の雑誌の新創刊の話がいたるところで起こっているという。しかし多くの人にその思想が伝播するということを考えたとき、紙よりもインターネットのほうが色々な戦略が立てられるのではないか。学会の紀要などの、紙ベースでの媒体に書くことで初めて成果として認められるという慣習がアカデミズム内部で色濃く残っているのが、「書く場所」を広げていくことの障害になっているのではないか。

そんななか、自ら物販も行うサイトやCD-ROMでの発表などを積極的に行う東浩紀氏(※4)の存在やパブリック・ジャーナリストの存在、最近だと「文化系トークラジオLife」(※5)の影響力が書店でも大きくなってきていることなど、デジタルデータとしての人文コンテンツの流通は少しずつ広がってきてもいる。

次に、ちょうどタイムリーだったmixiの規約改訂(※6)に関する話題から、著作権の問題がこれだけシビアになったのもインターネットの出現以降であるということ、復刊が待ち望まれる丹生谷貴志『光の国』のこと、コピーレフトされたジジェクの『いまだ妖怪は徘徊している』のことなどに触れた。特に販売部数の多くない人文系の書籍において印税で生活できる著者が多くない以上、クリエイティヴ・コモンズ・ライセンス(※7)などを利用して広く伝播させることのほうが、価値があるとも言えるのではないだろうか、という話をした。

目立った「ケータイ人文書」は今のところ存在しない。しかし既に何人もの小説家がチャレンジしているように、既に多くの著作などをもつ批評家や社会学者などの中には、多くの人に読んでもらうためのひとつのフォーマットとしての「ケータイ小説」的なアプローチを検討している人は既にいるかもしれない。「書く場所」を確保するために新しい雑誌を作ることに大きな労力を割き、結果あまり売れ行きが上がらずに数号で廃刊させてしまうよりも、そういった実験をもっと行っていくべきだし、そういった発想をする著者や編集者のつくったものを読んでみたいと思う。

そうした多様な実験が行われていくとき、仮に本屋から人文書の棚が小さくなっていったとしても、人文学そのものはなくならない。それどころか結果として、人文コンテンツへの人々の関心を喚起できれば、本屋における人文書の地位を向上させることさえ可能かもしれない。

後半は会場から、20年ほど前に浅羽通明氏の「見えない大学本舗」などがゲリラ的に書店の本に小冊子のようなものを挟み込んでいたという話を伺ったりしつつ、小林氏から「高遠本の家」(※8)や「Housing Works Used Book Cafe」(※9)を話題として提供していただき、本屋の未来の話や、断裁される本を素材に建築や美術作品をつくる可能性の話、本屋を取次主導で夜はバーにするべしという話などをさせていただいた。書籍のボツ企画案だけをまとめて公開するという、小林氏のアイデアもとても興味深く、話は尽きなかった。

こういった本や本屋の未来についての話は、例えばぼくが生まれてさえいない昔にも、その都度話されていたはずのことである。しかしコンテンツが流通するためのネットワークがこれだけ新たに普及した時代というのは今までなかったはずだ。また小林氏曰く、これほど多くの本が断裁され処分された時代というのも未だかつてなかった。まさに今、本当に変わっていかなければいけない。このトークセッションはまさにそのために、しばらく続く予定である。

※1:MUSEUM OF TRAVEL/CAMP
http://mot8.exblog.jp/

※2:ウラゲツ☆ブログ
http://urag.exblog.jp/

※3:批評空間(雑誌)
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/

※4:東浩紀
http://www.hirokiazuma.com/

※5:文化系トークラジオ Life
http://www.tbsradio.jp/life/

※6:mixi規約改定問題 「ユーザーが著作者の時代」にまた繰り返す大騒動(ITmedia)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/05/news082.html

※7:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第33回:コンテンツも、決まりも変わる
http://uchnm.exblog.jp/8184587/

※8:高遠本の家
http://www.ne.jp/asahi/bookcafe/heartland/honnoie/

※9:Housing Works Used Book Cafe
http://www.housingworks.org/usedbookcafe/


◎上記の「ぼくたちと本とが変わるときの話」、第2回やります。よろしければぜひ皆様いらしてください。
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ぼくたちと本とが変わるときの話 第2回
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内沼晋太郎(numabooks 代表/book pick orchestra 発起人)

<第2回ゲスト>
常盤敬介(日本出版販売株式会社 経営戦略室デジタルコンテンツチーム・プロデューサー)
古屋荘太(有限会社エリエス・ブック・コンサルティング、出版プロデュース事業部・出版マーケットレポート編集長)

■本は、いつか本当になくなってしまうのか?
■ぼくは、決してなくなりはしないけれど、既に変わりはじめているし、きっともっと変わっていくと思っています。
■「ぼくたちと本とが変わるときの話」は、本を中心に、広くメディアとコンテンツが変わっていく様について、毎回ジャンルの異なるゲストを招いて話をするシリーズです。
■今回はぼくと同世代で、取次大手の日販で取次でケータイコンテンツの配信を手がけている常盤氏と、出版プロデュースという比較的新しいジャンルの会社エリエス・ブック・コンサルティングに勤めている古屋氏という、いわゆる既存の出版とは異なる角度から出版業界に関わっている2人をゲストにお迎えして、あれこれ話します。

日時:2008年4月2日(水)20:00~22:00
定員:30人(予約制) 参加費:1,000円(1ドリンク付)

会場:Otto Mainzheim Gallery
http://mot8.exblog.jp/7239803/

主催:MUSEUM OF TRAVEL
http://mot8.exblog.jp/

予約方法:メールのタイトルを「キャンプ予約」とし、イベント名/氏名/メールアドレス/参加人数を明記したメールを下記のアドレスまでお送りください。24時間以内に予約確認のメールが届きます。予約をキャンセルされる場合は事前にご連絡をいただると助かります。museumoftravel(at)gmail.com ※「(at)」を「@」に変更してください。
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# by uchnm | 2008-03-25 13:56 | 本と本屋
第33回:コンテンツも、決まりも変わる
 半年ほど前の話になるけれど、小寺信良氏と津田大介氏の『CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ』(※1)が、クリエイティヴ・コモンズ・ライセンス(※2)を採用して発売された。そしてその両著者と白田秀彰法政大学社会学部准教授らを中心にMIAU(※3)が設立されたのは、まだ記憶に新しい。

 インターネットが日常のものとなってから、コンテンツの流通に関する新しい決まりが必要だということは、少なくとも誰もがなんとなく感じていることだろう。勝手にアップロードしたり、それをダウンロードしたりすることで、誰かの権利が侵害されていたり、今までお金が入ってきていた人の手元にお金が入ってこなくなってきたりしている。でもその一方で、誰もが自分のつくったものを簡単に世界に向けて発表できる、今までなかったすばらしい環境が手に入っている。だから、色々むずかしい。

 『CONTENT'S FUTURE』は、そういった現状を踏まえ、日本のコンテンツ業界の現在と未来について、各界の重鎮と対談した本だ。その書籍の中でも語られるクリエイティヴ・コモンズは、コンテンツの著作者の権利を柔軟に設定するためのひとつの指標としてつくられたものであり、同書籍それ自体にも「表示 - 非営利 - 改変禁止」というライセンスが採用され話題となった。そしてMIAUは、実際に浮上したダウンロード違法化(※4)やダビング10(※5)などに代表される法的な提案について公に話し合う際に、インターネットを使うユーザーを代表する立場がいない、という事態に応じて設立されたものだ。

 これ以上詳しくはそれぞれのリンク先を読んでいただくことにして(とても重要な変化だと思うので、苦手な方もぜひ!)、ともあれメディアに大きな変化が訪れるとき、それに応じて決まりを変えていくことは必要なことだ。ぼくが高校生のときはポケットベルが全盛で、学校に持ってくることは禁止されていたし先生に見つかれば没収されたけれど、今は小学生でさえ携帯電話を持っていて、それが彼らの身の安全のためにも役立つ。もちろん同時に悪影響も指摘されているのは周知の通りだけれど、たとえばこうして学校の決まりがなんとなく(あるいははっきりと)変わる。ところが法律はなんとなく変わるわけにはいかないので、みんなで話し合う。その裂け目のところで、誰かが得をして、誰かが損をして、そしてその反対側で、それまでまったくなかったものが新しく生まれているからだ。

 ぼくは本はなくならないと思うけれど、既にどんどん変わっているし、これからも変わっていくと思っている。それは、本がデジタル化されて流通してそれが合法だったり違法だったり、というような狭い世界の話ではない。コンテンツ業界全体の変化の一部として、音楽CDの売り上げとは裏腹にむしろ拡大している音楽ビジネス全体の一連の流れについて分析したり、新しく生まれたケータイ小説というジャンルやニンテンドーDSで世界文学全集を読むということについて真剣に考えたりすることのほうが、よっぽど重要だ。

 『CONTENT'S FUTURE』が出版されたときもう既にアメリカでは多くのCCライセンス書籍が出ていたので、日本でもその後にたくさんの書籍が続くだろうなと思っていたら意外と出てこないので、ぼくは自分でつくることにした。「表示 - 非営利 - 継承」ライセンス(これは『CONTENT'S FUTURE』よりも緩いライセンスで、元のライセンスを継承する限り改変が許されている)のもとPDFで全ページをサイト上で無料公開する予定で、若手アーティストの作品集を、100部限定のZINEという形式で、2月14日に出版したばかりである(※6)。若手のアーティストにとって、作品がデジタルで広まっていくということにむしろ得のほうが多いというのは、概ねYoutubeが証明した。ぼくのつくったものはごくごく小さな規模の力ない実験でしかないけれど、そういう実験を行う人がたくさん増えればいいなという思いだけは力強く込めている。


※1:『CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ』(翔泳社)
http://blog.shoeisha.com/contentsfuture/

※2:Creative Commons Japan - クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
http://www.creativecommons.jp/

※3:Movements for Internet Active Users(MIAU:インターネット先進ユーザーの会)
http://miau.jp/

※4:私的録音録画小委員会:反対意見多数でも「ダウンロード違法化」のなぜ(IT Media NEWS)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/18/news125.html

※5:ダビング10(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B010

※6: [numabooks know who] 001 タムラカヨ『ENJOY』
http://numabooks.exblog.jp/7470146/


◎勝手にこの連載と姉妹っぽいタイトルをつけたトークショーシリーズ「ぼくたちと本とが変わるときの話」、はじめます。初回は3月5日、2回目は4月2日。よろしければぜひいらしてください。
http://mot8.exblog.jp/
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# by uchnm | 2008-02-25 00:00 | 本と本屋
第32回:写真を贈る
 夏ごろのことだったか、「内沼さん、写真を贈る、っていうテーマで、本がらみで、何か面白いアイデアを考えてくれませんか?」という依頼をうけた。こういう類の「何か面白いことを考えろ」はとてもうれしい依頼で、ぼくの場合、いいアイデアはふと浮かんだものではなく、こうして人に与えられた条件の下で生まれることが多い(まったく関係ない話だけれど、お酒の席などで何のテーマも与えられずに突然「何か面白いことを話せ」とふられるのはとても苦手だ。あれが得意な人はすごいと思う)。

 この依頼は『写真以上写真未満』(※1)という書籍の企画で、写真の専門家に限らずいろいろな人が、それぞれが考えた写真の楽しみ方を紹介する、というものだ。企画監修のgg(※2)とは以前から仲良くさせてもらっていて、「写真を撮る」や「写真を飾る」などそれぞれ担当する人が何人かずついる中、「写真を贈る」というテーマが与えられた1人が、ぼくだというわけである。

 写真を「贈る」のは、ふつうに考えるととても難しい。もちろん、デジタルカメラの高性能化・低価格化や、携帯電話の普及とそのカメラの高性能化によって、まともな写真を「送る」手段はとても多くなった。軽量のものならメールに添付するもよし、大量にあればどこかのウェブサイトやオンラインストレージ上に、パスワード制限をつけて公開するもよし。しかし、そうして「送る」のが手軽になったからこそ、あらためて自分が撮った写真を誰かに対する「贈りもの」にするのには、何かしら「特別なもの」にするための工夫が必要になる。写真立てに入れて贈る、というのは常套手段だ。しかしぼくに求められているのは「本がらみで、何か面白いアイデア」であって、もちろんそういうことではない。

 最もシンプルなアイデアは、その「贈る」写真の内容と、相手のイメージとに合わせて、本をセレクトして「本と写真とを一緒に贈る」ということだ。ちょうどこの連載で2年ほど前、「本を贈る」という題で書かせていただいたことがあって(※3)、そのときぼくは「本ほど、相手のことを真剣に考えなければ贈れないものはない」というようなことを書いた。写真も、そうだと思う。ましてや誰かが書いた本とは違い、自分で撮ったものだ。美しく撮れた日常の風景の写真なのか、旅先の写真なのか、それとも相手本人が映っているいつかの思い出の写真なのか、あるいは遠く離れた自分の近況を伝える写真なのか?選択肢は撮った写真の数だけある。

 ただ「本と写真とを一緒に贈る」その贈り方のコツのようなものを解説するのでもいいけれど、どうせならばそれよりも、もうひとつ何か面白みのあるアイデアを提供したい。そう考えてぼくが最終的にたどり着いたのは、「文庫本写真立て」というものだ(※4)。一番きれいにできるのは、岩波文庫か新潮文庫。その2つの文庫の中から、贈る本を1冊選んで買ってくる。この2つの文庫は、表のカバーをはずすと、クラフト色の表紙の上に、ちょうどいいサイズの枠のようなものがある。その枠を残すようにして、タイトルや著者名が書かれた中の部分をカッターでくり抜く。もちろん表紙だけだから、中身には傷がつかない。タイトルや著者名は、背表紙にも、中表紙にも書いてあるので大丈夫。ちょっと大胆なようだけれど、初めてでも案外きれいに出来上がる。そして、そのくりぬかれた表紙の部分に、プリントした写真を見えるように挟む。最後に、ページの開いた部分を、バチ型クリップという、三味線のバチのような形をしたクリップでとめる。そのクリップは水平に自立する形になっているので、すると名前のとおり、文庫本が写真立てのようになるのだ。もちろん、ただ挟んであるだけなので、いつでも簡単に取り外して読むことができるし、普段は写真立てのように、どこにでも(もちろん本棚にでも)飾っておける。

 こうして本と写真との組み合わせを考える時間は、相手のことについて思いを巡らす時間だ。掛け算の選択肢は、それこそ無数にある。どんなものが欲しいだろう?どんなものをあげたら、どんな顔をするだろう?本や写真に限らず、すべての贈り物選びは、この時間がいちばん大切で、楽しい。

※1:『写真以上写真未満』(翔泳社)
http://www.seshop.com/detail.asp?pid=8371

※2:gg
http://www.lucky-clover.jp/

※3:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第10回:本を贈る
http://uchnm.exblog.jp/3834168/

※4:「文庫本写真立て」
http://numabooks.com/bunko_photo/
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# by uchnm | 2007-12-25 00:00 | 本と本屋


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「ぼくたちが本と出会うときのこと」は、ブックピックオーケストラ発起人、numabooks代表の内沼晋太郎が、「[本]のメルマガ」で書かせていただいている月一回の連載です。
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