第41回:本を「めくる」
 音楽が好きで、たまにDJをしている。一時期のファッション的なDJブームは去り、最近は純粋に音楽が好きな人たちによって、自主的に企画されたパーティが目立っているようだ。ぼく自身もそういうものを主催したり、または友人が主催するイベントに呼ばれて出演したりしていて、それらは小さいものは都心部のクラブやカフェ、あるいは大きなものでは海辺や山の中などのアウトドアを会場に、無数に存在する。

 ぼくがメインで使うのはいわゆるCD-Jと呼ばれる機材で、CDを擬似的にアナログレコードのように「回す」ことができるものだ。もちろんアナログにこだわるDJも数多くいる。またその一方で、PCでDJ用のソフトを使い、デジタルデータの音源をデスクトップ上で再生するデジタルDJもだいぶ一般化してきており、彼らの中にはVCI-100(※1)のような、擬似的にデジタルデータを「回す」ためのインターフェイスを使用する者も少なくない。音源を自分の手で「回す」という身体的な行為は、音源がどういう形態であれ、DJを楽しむ多くの人間にとって欠かすことのできない要素なのだ。

 本がCD登場以降のレコードのようにインターネットに取って代わられ、趣味的なものになってしまうのではないかという懸念は、インターネット勃興期の、だいぶ昔からあったものだ。さすがに今となっては、ほとんどの人がそれほどの完全な移行はありえないと感じていると思うけれど、ぼくはこれまでこの種の懸念を、アナログからデジタルへというメディアの変遷という文脈、あるいは旧メディアに対するプロダクトとしての愛着という文脈でしか、とらえてこなかったように思う。

 けれど最近になって、そこにはもうひとつの要素として、その音楽/読書体験の身体性や運動性という文脈が、かなり強い要素として存在するのではないか、ということに思い当たった。つまり音楽における「回す」「回る」と、読書における「めくる」「めくれる」との類似であり、それはすなわち「回す」という行為にこだわるDJと、「めくる」という行為にこだわる読者とを並列に考えてみることで、いろいろ見えてくるのではないかということでもある。

 フリーのCD-ROMマガジンとして2004年から季刊で発刊されていた『CINRA MAGAZINE』(※2)が、最新号である第19号をもって休刊し、ウェブメディアである『CINRA.NET』(※3)上に移行することとなった。PCで再生しコンテンツを楽しむことができるのはもちろん、CDプレイヤーにもそのまま入れて音楽を楽しめるというのも大きな特徴であったが、高速なインターネット接続環境が広く普及し、音楽再生なども含め文化として根付いたことから、それがウェブサイトに完全移行するのはしかるべき流れといえる。共有される可能性があるデータはすべてインターネット上、すなわち「あちら側」にあればいいのである。

 デジタルオーディオプレイヤーが普及したことにより、音楽CDを買わなくなっただけでなく、そのコピーとしてのCD-Rすら、日常のリスニングの際に使用する機会は減っているように思う。同時にデータのやり取りにおいても、メール添付でストレスなくやり取りできるデータ量も増え、ファイル送信やオンラインストレージなどのサービスも普及し、USBメモリなどより気軽な補助記憶装置が出てきたことによって、CD-R(W)を介する機会は相対的に減っている。

 つまり日常的に「回る」ディスクを見る機会が、どんどん減っているのだ。ハードディスクが中で「回って」いることはあっても、ブラウザやソフトウェア、あるいはデジタルオーディオプレイヤーそれ自体が「回る」ことはない。人々は商品としての音楽CDから離れているだけではなく、ディスクが「回る」のを眺めたり、それを「回す」という行為から離れていってしまっているのではないだろうか。

 おなじように人々は、読書という体験から離れていっているだけでなく、そもそも「めくる」という行為からも離れていっている。もちろん手帳やノートもカタログも「めくる」ものだけれど、それらもまた、みな「あちら側」にどんどん移行しているのは周知の通りだ。ぼくにしても、スケジュール管理には「Google Calender」を使っているし、事務用品をアスクルで頼むときは紙のカタログではなくオンライン上で決済までしてしまう。

 過去を思い起こせばまず真っ先に「あちら側」に移行したのは、検索性が問われ、かつほぼテキスト情報のみで構成される、英和辞典などの辞書コンテンツであった。むしろ小説のように、頭から終わりまでがリニアに繋がり、それが「めくる」という身体のリズムとともに発展してきたコンテンツであればあるほど、デジタル化されたものに対しては違和感を感じるように思う。その意味では、「めくる」という行為における最後の砦は、小説やエッセイのような活字コンテンツだといっても過言ではない。

 現に、本にまつわる仕事と並列してインターネットにまつわる仕事も請けているぼくのところでも、ウェブサイトのフラッシュ制作の案件の中で「本をめくるようなアクション」を要求されることがある。もともと本のことをやっているので当然そういったアクションは得意にしているのだけれど、そもそもそういったニーズがあること自体、人々の「めくる」という行為に対する愛着が感じられる。そして、それをブラウザ上で擬似的に再現することはできても、実際に動かすインターフェイスがマウスになってしまうというのが、もどかしい。

 そういう意味で最も「めくる」に近い操作感を体験させてくれるデジタルデバイスが、「iPod Touch」および「iPhone」である。「iPod Touch」を初めて触り、複数の画像ファイルなどを順番に閲覧していったとき、その操作感を「雑誌のようだ」と感じた人は多いだろう。時代の中で「iPod Touch」および「iPhone」がこれだけ受け入れられている大きな理由のひとつを、「めくる」を初めて実装できたからだ、というふうに仮定してみると、また違った活字コンテンツの未来が見えてくるのではないか、とぼくは考えている。


※1:VCI-100
http://www.vestax.jp/products/players/vci100.html

※2:CINRA MAGAZINE
http://cinra-magazine.net/

※3:CINRA.NET
http://cinra.net/
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# by uchnm | 2008-10-25 00:00 | 本と本屋
第40回:これから面白くなるかもしれない洋書のこと
ぼくは、ほとんど英語が話せない。読むのもスピード自体ものすごくかかるから、実践には到底使えない。それもたいていはだいたいの意味しかわかっていないし、そもそも意味を取り違えていることも多い。どうにかしなければと、なるべく読むようにしているけれど、いまのところは全然だめだ。

日本で一番大きかった洋書取次、洋販が自己破産してからもう2ヶ月が経とうとしている。その内容の詳細も、かつての社長を中心とした経緯も、ブックオフによるABC支援の話も、既に多くの人が書いているので。特に詳しい人間でもないぼくが繰り返すことはやめるけれど、とにかくまず多くの洋書取扱書店で行われたのは、在庫品のセール販売と、洋雑誌コーナーの苦肉の修正であった。

洋書取次は数多くあるけれど、特に週刊や月刊のメジャーな洋雑誌に関しては、ほぼ洋販が独占していた。だから洋雑誌コーナーを持っている書店ではそれまで扱っていた雑誌が入荷しなくなり、たいていは見た目や話題が洋風の雑誌で埋め尽くしたり、特集を組んだりしていた。『+81』で埋め尽くされた棚も見たし、『m/f』と『mommoth』のバックナンバーフェアをやっているところもあった。それらは、いつしかまた洋雑誌の取扱が可能になる日を待っているように見えた。

ところでぼくが自分の仕事を説明する中で、本のコーディネイトについて話をするとよく「洋書とかですよね」と言われる。〈アパレルやカフェ=写真集や画集などを扱っている=洋書〉というのがたいていの人のイメージのようで、実際ぼくは和書をメインにすることが多いのだけれど(その理由は説明すると長くなるのでここでは割愛するけれど)、それ以前の事実として、もちろん写真集や画集ばかりが洋書ではないのだ。世界で一番流通しているのは英語で書かれた活字の本のはずなのだけれど、ぼくらは日本語というマイナーな言語を母国語としている。実際それらの流通量はとても少ない。

オンライン書店のAmazonでは、ただ検索性が高く家に持ち帰る手間がかからないというだけではなく、洋書の値段もいちばん安いことが多い。絶版になって見つからないものも世界中のオークションサイトで探すことができるし、洋書は和書よりもずっと、インターネットの優位性が発揮される商品なのだ。もちろん洋販以外の取次も数多くあるし、日販が新しく子会社を作るということではあるけれど(※1)、その大前提は変えることができない。

しかし実際は英語がある程度できたり、あるいはぼくのように勉強しなければと思っている日本人は山ほどいる。グローバル化するビジネスにおいて云々というまでもなく「英語くらい話せなきゃね」という風潮は未だ高まる一方だ。にもかかわらず、洋書に「出会う」ことができるリアルな場所に存続の危機が訪れてしまうというのは、なんだかきびしい現実だ。

それはぼく自身がそうであるように、ふらりと訪れた書店で洋書に「出会う」楽しみを味わえるほどの英語力がなかったり、もしくはその英語力はあっても読書の習慣がなかったりすることの表れでないとも言えない(そして、今はまだ回復し存続する方向に向かってはいるが、同じ危機が洋書だけでなく、本そのものにも訪れないとも限らないことを示唆していないともいえない)。

ぼくは最近「〈本〉をブランディングする」ことの重要性をずっと感じていて、そろそろ動き始めようと思っていたのだけれど、ひょっとするとそれ以前に「〈洋書〉をブランディングする」ことのほうが重要なことかもしれない。時代をイメージするのに書店の棚というのはとても生きたメディアだと思うけれど、洋書にリアルで「出会う」場所を成立させられない(そして仮に存在しても使いこなすことができない)ということは、世界のことをイメージするための道具をひとつ失うということだ。「英語学習」自体はこれほどメジャーでイメージもいいのに、それが力強く「洋書」に紐づいていないことには、国レベルのキャンペーンを行ってもいいくらいの、もっと根本的な問題解決の糸口があるような気がしてならない。

その一方で、ブックオフ白金台店は売場面積80坪、在庫4万冊という、グループ最大の洋書売場を設置した(※2)。記事によると「港区は、人口の1割強に当たる22,000人が外国籍の住民。各国の大使館や領事館などの施設が多数あり、洋書の需要が見込める」とのことで、特殊な立地に拠るところが大きいが、「今後は海外の店舗とも連携し、アメリカやフランスの店舗利用者から買い取った洋書を直輸入して販売する」とのことで、つまり洋販同様、輸入業をやるということだ。和書においてもブックオフの功績(もちろん意見を異にする人もいるだろうけれどぼくは「功績」だと思っている)は大きいが、ABCをブックオフが支援するというのと時をほぼ同じくしてこういうことが起こると、日本の洋書を変えるのもひょっとしたらブックオフなんじゃないか、という気もしてくる。なんにせよ今だからこそ、洋書が、これから面白くなりそうな予感がするのだ。

※1:日販 洋書輸入販売の新会社を設立
http://www.nippan.co.jp/news/2008/0826.html

※2:白金台の「ブックオフ」がリニューアル 洋書売り場強化、4万冊に
(品川経済新聞)
http://shinagawa.keizai.biz/headline/371/
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# by uchnm | 2008-09-25 00:00 | 本と本屋
第39回:雑誌の定期購読のこと
 最近スタッフが増えて、ずっと1人でやっていたところを2人体制にしたのだけれど、それがきっかけになって、仕事で必要な雑誌をいくつか定期購読するようになった。

 しかし周りの友人数人に聞いてみると、雑誌を定期購読した経験は「NHKの語学テキストなどを少し」といった声があった程度で、想像していたよりも少なかった。いわゆる特定の雑誌を毎号買う「固定客」が減り「特集買い」が増えているという話もよく耳にするが、それでも必ず一定数は「固定客」がいるはずだし、雑誌の制作側としては当然、毎号買ってもらえるような雑誌にしていかなければならない。しかも女性ファッション誌を筆頭に、雑誌を毎回書店で買って帰ることを考えるだけでも結構な荷物になるから、毎号自分の手元に届くことのメリットは大きい。普通に考えると、もっと雑誌の定期購読ということ自体がメジャーなものに、一般化してもいいものではないだろうかという気がしてくる。

 前回も書いた東京国際ブックフェアの会場で、日本雑誌協会発行の『これで雑誌が売れる!(※1)』という冊子をいただいた。色々な書店さんの雑誌を売るための工夫が生の声で、5章に分けられまとめられているものなのだけれど、そこでも「外商、定期購読の拡大」にそのうちの1章が割かれているほか、「定期購読キャンペーン全国トップ2書店の『秘訣』を探る」というコーナーもあった。特にいわゆる「街の本屋」、あまり坪数の大きくない小さな書店が生き残っていく方法のひとつとして、雑誌を定期で店頭取り置きするお客様に定期的に来店してもらうことや、毎号配達に回ることで地域密着型の書店として街全体とコミュニケーションをとっていくことなどが、この小さな冊子の中で多く語られている。

 また、それこそ何十年も昔から、たいていの場合、雑誌本体にも定期購読の案内がついている。送料無料は当たり前、ノベルティがついていたり1号分安かったりなど、各社工夫を凝らしてメリットをつけるようになっている。また、それらの定期購読をインターネット上で受け付けるサービスとして、日本のAmazonが雑誌を取り扱う前からサービスを開始している「Fujisan.co.jp(※2)」は既に老舗の風格を出しているし、日販の子会社が運営している「MagDeli(※3)」も、その母体の流通基盤を生かした独自のサービスを展開している。

 特に「Fujisan.co.jp」は、競合の中を勝ち抜く次の手として、これも2006年と早い段階からデジタル雑誌の販売を始め、『AERA』など大手の雑誌の完全デジタル版の定期購読を多く取扱っている。特に海外在住者など、郵送ではリアルタイムに情報が手に入らない人たちや、必要なページだけプリントアウトすれば冊子よりかさばらなくて済むといった人たちに重宝されているようだ。またいわゆる雑誌に限らず、書店流通はせずデジタルのみで発行される冊子や、無料配布で多くの人に届けたいといった冊子も多くここで流通している(実際、先ほど紹介した『これで雑誌が売れる!』は「Fujisan.co.jp」でも配布されている→※4)。

 また個人や団体が任意で発行している、いわゆるインディペンデントプレスのなかでも、定期購読の新しい試みが始まっている。『スニフティ』(※5)はTOKYOHELLOZというパーティクルーが、「東京堂」という出版局を立ち上げて発行している月刊の漫画雑誌だ。彼らの周辺の、初めて漫画を書くミュージシャンから、プロで活躍するイラストレーターや漫画家まで幅広い人々が自由に漫画を書いていて、その自由さ加減が本当に素晴らしい雑誌なのだけれど、この雑誌のもうひとつ面白いところが「年間会員制」をとっていることだ。見本誌のみは一部の書店で販売しているが、実際の月刊誌はすべて定期購読で郵送され、しかも途中で申し込んだ場合も、初回に創刊号からすべて一度に送られてくる。そのまま一年間、12号目までのお金を先に支払うというシステムだ。

 これが実際に利用してみて、インディペンデントプレスにとって非常に優れたシステムだと思った。特に漫画など連載が多い雑誌の場合は、読者としても最初からまとめて読みたい。一方の制作側も、すべて定期であれば無駄な部数を刷ることがない。また、作りたいと思ってはじめた自分たちの雑誌を作り続けるために、先にお金を受け取っている定期購読者がいるということは程よいプレッシャーになり、1~2冊作って飽きてきたから終わり、という風にならず、モチベーションの維持にもつながる。かといって、最初に受け取る金額は創刊から12冊分までと決まっているから、終わりが見えないというわけでもない。

 こういったインディペンデントプレスを扱うショップもだいぶ増えてはいるが、作られる印刷物の数はそれ以上に増えている。発行者がそれぞれのショップに一店ずつ扱ってもらえるように交渉して回り、そのうちのいくつかで扱ってもらえたとしても、そこから毎回納品し回収し請求する、というサイクルを行い続けるのは結構な手間だ。会員は基本的にウェブを中心として、身の回りから口コミで広がる。もちろん見本誌を手に取った読者との偶然の出会いもある。自分たちで冊子を定期刊行したい場合、この『スニフティ』のモデルはひとつの答えであるといえそうである。

 街の書店の活性化に、デジタル雑誌に、インディペンデントプレスに。定期購読は、ここのところすこし熱気を増してきているように思う。徐々に広告収入に頼れなくなっていく雑誌をなくさないために、より定期購読を一般的なものにしていくための工夫を、ぼくももう少し考えてみたいと思う。


※1:私はこうして雑誌売上を伸ばしました 日本雑誌協会「雑誌売り伸ばしプロジェクト」公式ブログ
http://j-magazine.weblogs.jp/blog/

※2:Fujisan.co.jp
http://www.fujisan.co.jp/

※3:MagDeli
http://www.magdeli.jp/

※4:『これで雑誌が売れる!』
http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281682618

※5:スニフティ
http://www.tokyohelloz.com/snifty.html
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# by uchnm | 2008-08-25 00:00 | 本と本屋
第38回:一番大きな、本のイベントのこと
 2週間ほど前の話になってしまうけれど、今年も東京国際ブックフェア(※1)に行ってきた。ぼくはいつも、りんかい線の国際展示場という駅で降りる。改札内に昔、コインを入れてインターネットができるマシンがあったけれど、久々に訪れたらその場所は宣伝ブースのようになっていて、ガラスケースの中にどこかのメーカーのエコ洗濯機か何かが置いてあった。都内の地下鉄の駅構内でたまに古本を売ったりしているけれど、あれをこの期間中のこの駅でやったら一番売れるんじゃないだろうか、とか考えながら(関係ないけれど最近、東急沿線の売店に「ヨンデルとサガーデル文庫」という新刊書籍のコーナーがあってひそかに注目している。オフィシャルの情報が何もないのはなぜだろう)ビッグサイトに向かっていたら、どこかの出版社の雇用関連のデモはきちんとこの機会に合わせて、道の途中で行われていた。

 ビッグサイトに到着して、一通り見て回る。ある出版社のブースにいた人は「年々業界人よりも一般人のほうが多くなっている」と言っていた。もともと主催の会社はビジネスショーを行うのが専門で、メーカーとバイヤーが商談を行うための場づくりやそのためのアドバイスには長けているのだけれど、利益率が低くアイテム数や新製品が圧倒的に多いこの業界にその基本的な考え方が当てはまらない(海外との版権ビジネスは別だ)ということは、参加者の多くが感じていることだろうとは思う(そもそもこのメルマガの読者と、この東京国際ブックフェアの来場者は、かなりターゲット属性が近いというか、重なっていそうな感じがするのだけれど実際のところはどうなのだろう)。

 だけれどぼくにとっては、行く度に何らかの発見や出会いや、新しい情報がある。特に電子書籍はじめとする出版を取り巻くデジタル技術については、最新のものに実際にまとめて触れることができる貴重な機会だ。出展している出版社の人と直接話ができることも大きいし、各社力の入れ具合にバラツキはあるものの、じっくり向き合えばたくさん面白いことがあるような感じがする。ところが一方で、ふだん出版業界の人と話をしていると「なんだかんだで、だいたい毎年顔は出すけど、行っても面白くないんだよね」という人も多かったりする。

 イベントにおいて出展数や集客がそのままひとつの力であるということは、たとえホームパーティのようなものでもいい、どんな小さなイベントでも、ひとつでも企画したことがある人ならばわかるだろう。基本的に、たくさん人を呼ぶというのは、難しい。それを継続するのはさらに難しい。そして面白い人がたくさん来るイベントなら、そこには何かが起こる。たとえその人たちの一部が付き合いで顔を出しているだけだとしても、その人たちに訴える魅力的なコンテンツがあれば、誰かは足をとめるだろう。そしてこのイベントは、とにかく人は多い。ビジネスのチャンスはいくらでも転がっているのだ。

 もちろんただ多くても、自分のビジネスのターゲットでない人ばかりでは仕方がないし、いったいどうやってそのビジネスのチャンスをつかむのか、といえば、それはケースバイケースなので、ただ「チャンスはある」と言い放ったところで何も言ったことにはならない。ただひとつだけぼくがここで言えることがあるとすれば、多くの出版業界の人が、なんだかこのイベントに対して妙にネガティヴだったり、シニカルだったりするのはどうか、ということだ。

 このイベントが面白いものになれば、出版業界は変わるかもしれない。少なくともぼくはそう感じて(ご存知の方もいると思うけれど)新卒の時にこの主催の会社に入った(そして中からは変えにくいということに気づき二ヵ月半で辞めたのだけれど、その話はまたいつか)。今から他の誰がどういう風に始めたところで、これだけたくさんの出展者と来場者を集めるイベントに成長させるのには、いったい何年かかるかわからない。何年かかっても、できないかもしれない。

 たとえばぼくが毎年訪れるイベントのひとつに、デザインタイドというデザインのイベントがある。同時期に他にもいくつかのイベントが行われ、デザインウィークと呼ばれて業界の年間スケジュールの中のひとつの山場をつくっている。それぞれのイベントに対しての賛否両論はもちろんあるけれど、デザイン業界の人はたいてい、何か新しいプロジェクトをはじめる時、その発表のタイミングとして必ず、このデザインウィーク期間中にどこかに出展する可能性を選択肢に入れる。もちろん来場者には、「知人が出ているから」と付き合いで訪れる人もたくさんいるだろう。しかし少なくとも、出展者はもうちょっと真剣なようにみえる。

 ところが東京国際ブックフェアに訪れると、何のために出ているのだろうという出展者がたくさんいる。仮設のブースそのままにただ商品を並べてボーっと座っている人がいるだけで出展しているブースを見ると、コンテンツをつくっている会社がそれでいいのだろうか、と思う。こういうイベントでは、ブースの見た目からいる人の佇まいまで、空間ごとすべてコンテンツなのだ。失礼を承知ではっきり言うけれど、あれではまるで100円ショップのノートに落書きを書いて「雑誌です」と売っているようなものだ。いくら低予算で経験もないとしたって、手作りでもなんでも、もっといくらでもいいものにできるだろう。

 まず出展者のほうから少しずつ、意識を変えていくこと。あるいは来場者はその場所をできるだけ、積極的に活用してみようとすること。何でもいいから情報をつかんだり、人と知り合ったりしてみること。パーティに来たようなものと思えばいい。繰り返しになるけれど、今から新しく立ち上げてあれほど人を集めるイベントに成長させるのには、いったい何年かかるかわからない。版元と取次と書店、そして読者が、こういった形で一同に介する機会は他に存在しない。それぞれがこの一番大きなイベントの未来を、業界の未来をつくるひとつの場として、当事者としてポジティヴにとらえようとすること。少なくとも「あのイベントはなんだかなあ」とぼやく風潮だけは、なんとか止めたいと思うのだ。


※1:東京国際ブックフェア
http://www.bookfair.jp/
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# by uchnm | 2008-07-25 00:00 | 本と本屋
第37回:本と旅とプロダクト
 そんなに多くはないけれど、本特集をやるとか、本がらみの企画をやるとかで、色々な雑誌からときどき、原稿の依頼をいただく。基本的にありがたく引き受けるのだけれど、それがなぜだか夏前のこの時期に多くて、今月発売の雑誌3誌にそれぞれちょっとした原稿を書いた。去年は7月発売の雑誌2誌に書いていたようなので、今年はピークが1ヶ月早まっていることになる。夏が近づくと本に注目したくなるのだろうか、それは、夏休みがやってくるからだろうか?

 先月のこの連載は「現代美術が本をプロダクトとして浮き彫りにする」(※1)というタイトルだったけれど、実は偶然にも、3誌のうち2誌が「本/プロダクト」という内容の原稿依頼だった。それぞれ『スタジオボイス』(※2)と『ハニマグ』(※3)なのだけれど、面白いことに、前者は「本」特集の中で「プロダクトとしての本」という切り口で、後者は「プロダクト」特集の中で「本というプロダクト」という切り口で、それぞれ書いてほしいという依頼だったのである。そしてもう1誌である『エココロ』(※4)は、「旅」特集の中での「本」。旅に出るときに読みたい本についてのコラムを書いたほか、特集の扉に載せる文章の引用もした。

 もちろん『スタジオボイス』も楽しく書かせていただいたのだけれど、どちらかといえば『ハニマグ』や『エココロ』のように、「本」以外の切り口の特集の中で「本」について書くことを要求されるほうが、個人的には性に合っている。まさにこの連載や今回の『スタジオボイス』のように、本というメディアそのものに関わることを書かせてもらえるのであればともかく、いわゆる本好きの人に向けてさらなる知識や情報を知らせるような文章は、もっと得意な人がぼくの他に山ほどいる。それならば、それほど本好きでもない人が読んでいる雑誌に、本への興味を持ってもらうような文章を書くことのほうが、自分には向いているし、やりたいと思うからだ。

 それぞれの内容については最新号を買って読んでいただくとして、同じ内容を書くわけにもいかないので関連させるというか、無理やりに2つを同時に考えようとしてみると、「本」は「旅」において特に「プロダクト」であるということを強く意識させるものだ、ということに気がつく。なんといっても旅の荷物は、本以外にもたくさんある。荷物はできるだけ軽いほうがいいし、旅先のどこでも、気軽に読める形態のほうがいい。

 それゆえ旅には、日本独自の素晴らしいフォーマットである文庫本が、長年親しまれてきた。「かばんの中には文庫本」というmixiコミュニティに3,500人を超える人がいるくらいだ。これは数多ある本関連のコミュニティの中でもかなり多いほうで、それだけ「持ち歩く」ということと切り離せない関係にある。

 他方ビジネスの世界でも、ひとつ前の『東洋経済』も読書特集で、そこに見逃せない記事があった。「ティム・ドレイバー氏はソニーの電子書籍端末『リーダー』(日本名『リブリエ』)を海外出張時に携える。『70冊分はダウンロードしているよ』。(中略)出張の多いビジネスエズセクティブにとって、電子書籍端末は半ば必携のアイテムだ」(※5)。『米国の最新読書事情』と題されたこのコラムはカリフォルニア在住の日本人ライターによって書かれたもので、どのくらい「必携」なのかはさておき、少なくとも日本より格段に専用端末がメジャーであることは間違いなさそうだ。本文中にも触れられているが、米国のハードカバーは大きくて重たい。その点、日本のビジネスマンは新書というフォーマットにだいぶ恵まれているともいえる。

 旅先で読む本は、もちろん内容も重要だ。上のビジネスマンのように電子書籍端末を持ち歩かない限り、たくさん持っていくわけないはいかないから、吟味しなければいけない。そこで、できるだけ面白い読書をする方法のひとつは、その旅先が舞台として出てくる小説を持って行くことだ。これは『エココロ』でも紹介させてもらったけれど、その小説の舞台をマッピングするウェブサービス「honnobutai(ホンノブタイ)」(※6)を、実はつくってしまった。これはぼく自身書いたことを忘れていて、あとで気がついたのけれど、1年ほど前にこの連載に書いた文章(※7)の後半で妄想していたものにきわめて近い。まだ不十分なところだらけだけれど一応動いているし、手前味噌ながらはっきりいって面白いので、ぜひ試してみてください。


※1:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第36回:現代美術が本をプロダクトとして浮き彫りにする
http://uchnm.exblog.jp/8661562/

※2:『STUDIO VOICE(スタジオボイス)』2008年07月号 特集:本は消えない!
http://www.studiovoice.jp/studio-voice/back-issue/2008/07/

※3:『honeyee.mag(ハニマグ)』vol.5 “PRODUCT”
http://www.honeyee.com/news/2008/fashion/132/index.html

※4:『ecocolo(エココロ)』No.28「週末美人旅」
http://www.ecocolo.com/editorial/modules/pukiwiki/514.html

※5:『週刊東洋経済』2008 6/21 「最強の読書術」
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/0621/index.html

※6:honnobutai -β 本の舞台をマッピング
http://honnobutai.org

※7:「ぼくたちが本と出会うときのこと」第28回:ブック検索に大賛成する
http://uchnm.exblog.jp/7186469/
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# by uchnm | 2008-06-26 14:17 | 本と本屋


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「ぼくたちが本と出会うときのこと」は、ブックピックオーケストラ発起人、numabooks代表の内沼晋太郎が、「[本]のメルマガ」で書かせていただいている月一回の連載です。
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