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第18回:幸せな読書のためのホテル
 ホテルに泊まると、部屋の引き出しには大抵、一冊の聖書が入っている。そして、ホテルの利用規約とかいろいろな施設の案内とか、周辺の観光情報とか、そんなものが挟まっているファイルのようなものが、まあ大抵、あることが多い。あとその他に、本らしきものは、見当たらないのが普通だ。

 ところで栗田有起さんの作品に、『オテルモル』という小説がある。舞台は「幸せな眠りのためのホテル」。誰でもそれまで体験したことがないくらいに気持ちよく眠ることができる不思議なホテル(正確には「オテル」)で、快眠を求めて日々会員の常連客がやってくる。そのホテルでスタッフをすることになった主人公の、業務の日々を描いた作品だ。

 この「幸せな眠りのためのホテル」は、それなりに実現可能かもしれない。すべての環境を眠りのためだけに、ひたすら最高級のものに仕立て上げた客室――ひょっとしたら既にどこかで試みているホテルがあるかもしれないし、それを想像するだけでちょっと眠くなってきてしまうけれど、ところでそれならば「幸せな読書のためのホテル」というのはどうだろう。

 旅に出るときには必ず本を持っていく、という人はたくさんいるだろう。ぼくもその一人で、一人旅の場合は、本を読むために旅に出ているような気分になってくるくらい、その本と自分の旅とがシンクロすることが多い。選ぶのは、できれば文庫本がいい。長い旅の場合はすぐに読み終わってしまわないように、小説ではなく評論や思想書の類を持っていく。実際ぼくの場合は、学生時代に3週間かけて青春18きっぷで国内をフラフラしたとき、持っていったスーザン・ソンタグの『反解釈』を読み切るのにちょうどいい長さだった。しかし必ずしも、いつもそう上手くいくとは限らない。荷物ができるだけ少ないほうがいいから、途中で読むものがなくなってしまうことも多い。

 旅先で一番長く本を読んでいるのは、移動中の電車などの乗り物か、夜のホテルだ。それなのに、ホテルの部屋には、聖書とファイルしかない。たとえばそこに、そのホテルのブランドと顧客層に合った、よく選ばれた良書が詰まった、大きな本棚があったらどうだろう。旅先で一人で過ごす、長い夜。読み終わった文庫本の次に、どれを読もう。部屋に用意するのだから、コスト的に少し高価な部屋になるだろう。どうせならあるいはいっそ備品のタオルのような感覚で、読みかけの本を持ち帰れるサービスがあってもいい。あるいは部屋ではなくロビーのような場所や、もしくは専用の図書室を作って、そこから自由に持ち出した本を、自由に、部屋で読む。読みかけて続きが気になったら、冷蔵庫のドリンクのように、あと清算で買うことができてもいい。

 実際「ホテル 図書室」で検索すると、いくつものホテルがヒットする。それらは、だいたい海外のリゾートホテルだ。そこがさらに、小説の世界のような「幸せな読書のためのホテル」であったなら。ちょうどよい高さと硬さの椅子と机、いくら寝転がって読んでも疲れないベッド。風と、香り。快適なのに、なぜだか眠くはならない不思議な緊張感。そして、なぜだか読みたい本ばかり並んでいる本棚。本の世界にどんどんと引き込まれて、気づくといつしか時間を忘れて何冊も続けて読み耽ってしまうような、そんなホテルがもしあったなら――なんて素敵な妄想だろう。

 どこまでできるかはわからないけれど、実はいま、インテリア会社とホテルのコンサルタントと組んで、「本棚のある客室」「本のあるロビー」を実際に計画中である。アパレル向けの本棚作りも、だいぶ面白くなってきた、その次。本のあるところ/あるべきところはまだまだ、いくらでもある。どこへでも出て行こうじゃないか。
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by uchnm | 2006-09-26 12:06 | 本と本屋


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