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第十七回:読みとばし、読みためて、ながめる
いま一緒に仕事をしている某アパレルショップのディレクターは2児の母でもあるのだけれど、そのディレクターが今日、神保町で打ち合わせをしているときに「子供のうちに、本を読みとばせるようにならなければいけない」と言った。

 本を読むぼくらはいつのまにか、いま読んでいる部分がわからなかったりつまらなかったりしても、少し忍耐しようという気持ちが働く。それはたとえば「自分が読みたいと思って選んだ本なのだから、もうちょっとがんばって読めばこの後面白くなるかもしれない」という期待だったりする。受動的に入ってくる映像や音楽などと違い、文章は能動的に読まなければならない。それにも関わらずそういった期待が持てるようになるまでには、ちょっとした訓練のようなものが必要だ。<読みはじめる→面白くない→読みとばしてでも読み続ける→だんだん面白くなる>という経験を何度か経ているからこそ、「読みとばしてでも読み続ける」ということに能動的になることができる。「本を読みとばせるようになる」とはある意味、「本の面白さを信じられるようになる」ということなのだ。

 「本が売れない」というとき、その理由のひとつ(しかも、かなり大きな)にはこの「本の面白さが信じられる」人が年々少なくなっているから、というのが挙げられるだろう。よく「本は学生のうちに読んでおけ」というけれど、もっと小さなうちにこの「本を読み飛ばせる」という技術を身につけておかないとむずかしい。逆に、子供のうちに「読みとばせる」つまり「本の面白さを信じられる」ようになっていた人は、たいてい学生時代に本を「読みためる」ことができている。昔はいわゆる「これは教養として誰もが読むべき基本図書だ」というのがあったというが(ぼくの世代は既にそういうプレッシャーが薄くなってきたころに学生をしている)、そういう本をきちんと読んでいるひとはたいてい学生時代に「読みためる」ことができた人だ。

 と、ここまで考えて、そういえばとても尊敬している、とある50代の読書家の男性が「ぼくらくらいになるともうだいぶ読んでしまったから、本はあとはながめたりしているだけでいいんです」と言っていたのを思い出した。彼は間違いなく学生時代「読みためる」ことをしてきた人だけれど、その彼が今度は「ながめる」ことをするのだというからおもしろい。

 最近アパレル向けの本のセレクトの仕事が多くなっていて、その話をすると「写真集とかアートブックみたいなものを並べるのですか」と言われることが多いのだけれど、ぼくの場合は必ずしもそうではない。むしろ活字の本の内容やタイトルを吟味して、いかにお店のコンセプトを可視化していくかというのがメインにあって、それと見た目の美しさとのバランスをとりながら棚を編集していくかということが、一番大切だという気がしている。彼の話したような考え方が「本の面白さを信じられる」人のたどる道なのだとしたら、内容で選んだ本と美しさで選んだ本、すなわち「読みためる」べき本と「ながめる」ための本の両方がバランスよくあるというのは、本屋のあるべき姿としてもあながち悪くなさそうだ。

 子供のうちに読みとばし、学生のうちに読みためて、大人になったらながめる――しかしこれはもちろん、ひとつのスタイルでしかない。たとえば子供のうちに読みとばすことを学べなくて、活字が苦手なまま大きくなった学生でも、堂々と「本はあまり読みませんが、ながめていることは好きです」と言っていいはずではないだろうか。それがなんだか言いにくい気がするのは、一部の親や年長者が自分のとってきたひとつのスタイルを強要してしまっているからだ。だから、余計本が嫌いになってしまったりする。そうではなく、いろんな場所でいろんなアプローチで、いろんな読み方や楽しみ方を提示することで、それぞれ自分なりのスタイルで「本の面白さを信じられるようになる」ように導くこと。「本が売れない」のならばなおさら、それこそがぼくら本屋の本当の仕事なのだと思う。本の面白がり方は、決してひとつじゃない。
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by uchnm | 2006-08-25 00:00 | 本と本屋


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